今回紹介するのは、大台町神滝(こうたき)で自然環境に優しい生産システム「アクアポニックス」を活用したチョウザメ養殖などを行う辻 良(つじ りょう)さんです。
日本一の清流・宮川に注ぎ込む渓流「始神川」のほとりで、チョウザメの養殖からキャビアの生産、魚肉の加工までに加え、循環させたキレイな水を使用したクレソン栽培を、スタージョンロハスとして2021年に開始しました。
南伊勢町で、20年以上にわたりクロマグロの養殖をされてきた魚のプロが、大台町へ来た理由は何だったのでしょうか。
【チョウザメ養殖を始めたきっかけ】
取材当時は、辻さんが大台町でチョウザメ養殖をスタートしてちょうど2年の節目の時でした。ここに来る前は20年以上、南伊勢町で魚の養殖業に従事しながら、日本全国、また、台湾や中国などのアジア圏に養殖の指導にも行かれていたそうです。
「コロナで出張に行けなくなって時間ができたので、ずっとやりたたかったチョウザメを始めたのがきっかけ。」と辻さんは言います。
魚のプロ、辻さんはなぜチョウザメの養殖がやりたかったのでしょうか。
「海外に出張に行くと、必ずと言っていいほど、レストランでチョウザメの魚肉を使った料理が出る。海外ではメジャーに食べられているんです。日本人だけですね、美味しいことを知らないのは。最近はメディアでも少しずつ取り上げられ始めましたが、日本は他に美味しい魚がたくさんあるので、わざわざ食べようと思わなかったのかもしれません。」
フォアグラとトリュフに並ぶ世界三大珍味のひとつとして、チョウザメの卵「キャビア」は高級食材としての知名度はあるものの、チョウザメ肉は日本で決してメジャーな食べ物ではありません。
【大台町で始めた理由】
辻さんはチョウザメに合う水を探すのに、半年もの時間を要したそうです。
「機械を持って、様々な谷へ川の水の調査に行きました。南伊勢町で探してもなかった。ここが何ヵ所目か分かりません。大台町に位置する宮川の支流『始神川』は、チョウザメとドンピシャリの水でした。奇跡的な出逢いがあって、大台町の役場職員とも知り合い、辿り着いたんです。」
始神川を流れる水が単にキレイというだけではなくて、スタージョンの体液、体の水分のPHと全く同じ数値を示したこと。探し求めていた川が、大台町に存在した。それが、辻さんが大台町にやって来た理由です。
【チョウザメの生態】
チョウザメは「サメ」とついているので、筆者も辻さんに話を聞くまでは、サメの一種だと思い込んでいました。なので、恥ずかしながら海水に生息しているものと誤解していました。
「チョウザメは、サメの仲間でも何でもありません。昔の日本人が、形がサメに似ているのでサメと名付けてしまった。」
辻さんの名刺には、チョウザメのキャラクター「滝たろう」が描かれ、「スタージョン(チョウザメ)はサメじゃないよ!」とユニークな吹き出しが記されています。
チョウザメは、2億5千万年前から地球上にずっと生息している、シーラカンスと同じ、「生きた化石」である古代魚です。
スタージョンとは、チョウザメの全世界共通の名前。
8月に観測される満月のことを「スタージョンムーン」と言いますが、アメリカの先住民がチョウザメの豊漁を願って呼んでいたことがいわれだそう。糧として大事にされてきた魚なのですね。カスピ海やシベリアなど、ロシア、ヨーロッパ、アジア北中部、北アメリカなどの大きな湖といった淡水域の湖底に住んでいます。
ちなみに、明治時代頃に日本のチョウザメは絶滅しました。北海道や東北に遡上してきていたそうで、「ミカドチョウザメ」と日本名が付いていました。
サメではないので、とてもおとなしく動きがゆっくりで、歯もないし目も見えない。最大で150年も生きるそうです。人間より長生きとは!
「触るとウナギのようにぬるぬるしている。」とチョウザメを持ち上げ、口やお腹の部分まで見せてくれた辻さん。見た目は名刺の「滝たろう」そのものです。
背中には骨鱗という蝶々の形をした硬いウロコが並んでいる。それがチョウザメと命名された所以だそうです。
この骨鱗は煮ても崩れることなく、包丁がかけるくらいに硬いのが特徴。アクセサリーにして売っているところもあると、記念に一つプレゼントしてくれました。
【スタージョンロハスのチョウザメ】
チョウザメはワシントン条約で保護種の対象となっているため、国際取引が禁じられています。現在日本で養殖されているチョウザメは、人間が掛け合わせてハイブリッドで作ったもの。スタージョンロハスのチョウザメは、辻さんが業務提携している茨城県の養殖場から買い入れた稚魚を育てているそうです。今泳いでいる600匹のチョウザメは、2023年4月で2才になりました。
また、産卵できるようになる3~4才のチョウザメを茨城から買って、何ヶ月かここの水に慣らし、オリジナルのエサをやって、スタージョンロハスのチョウザメとしての商品も作ったそうです。
「1匹でも活魚車でどーんと運んでこないといけないので、経費はかかりますけどね。今育てているチョウザメは産卵時期にならないとオスメスの見分けがつかないので、秋にはお腹を開いて確認して、オスは魚肉用に加工し、メスはキャビアを採るためにさらに大きく育てる。あと5年かかります。キャビアを採るには、産まれてから7年の歳月が必要です。」
スタージョンロハスのキャビアは、「奥伊勢キャビア 雫」というネーミングで、ラベルは水色と黄緑のグラデーションが爽やかなデザイン。
キャビアといえば、高級感のあるゴールドやブラックのパッケージが多いですが、辻さんのこだわりは、大台町を象徴する宮川のグリーンと空のブルーのイメージです。
【チョウザメの良し悪しは水とエサで決まる】
チョウザメは、嗅覚がすごく良くて、ヒゲがセンサーになり、コイのように湖底にある小さなサイズのエビや虫を水と一緒に吸い込む食性だそう。
辻さんは、魚粉や栄養剤を混ぜて、オリジナルのエサを作って与えています。
エサには、大台町の特産で、農薬や化学肥料を使わない「奥伊勢えごま」を細かく粉砕してミックスしていると、こっそりと教えてくれました。
今はまだ分析していないそうですが、スタージョンロハスのチョウザメからは、エゴマに含まれるオメガ3の数値が高く現れ、美味しさだけではなく健康面でも注目されるかもしれませんね。
チョウザメの水槽の水は、ハウスの裏を流れる始神川から汲み上げてろ過し、紫外線殺菌装置で雑菌などが処理されています。
「ウナギ養殖でも、何日間かキレイな水で泥抜きしてから出荷としているところもあるけれど、うちは水がいつもキレイな状態なので、その分早く出荷できます。また、川に戻す水も、エサやフンを流さないようにろ過して、そこまでやる必要があるのかなと思うくらい、徹底してやっています。」
【おさかなマイスター登録認定No.0001】
おさかなマイスターとは、魚の魅力を伝えて、美味しく食べてもらうための「伝道師」として活躍する人。平成19年に設立された日本おさかなマイスター協会が実施する資格です。
「現在は豊洲市場に事務所がありますが、制度が始まった当時は築地で、辻さんは南伊勢町から鉄道で約4ヶ月間毎週末東京に通い、講座を受講し試験を受けて資格を取りました。
「登録認定No.0001はたまたまですけどね。」と笑顔を見せる辻さんは、「ととけん」の愛称で知られる日本さかな検定2級にも合格しています。
【スタージョンロハスの商品】
スタージョンロハスの商品は現在、前述の奥伊勢キャビア、100gの切り身の奥伊勢スタージョンフィレ、薄くスライスされた奥伊勢スタージョンサシミ、桜チップで冷燻された奥伊勢スタージョンスモークの4種類。すべて冷凍商品です。
その中から、奥伊勢スタージョンスモークを試食させていただきました。
大台町のホテル、奥伊勢フォレストピアの前料理長・野呂泰司氏監修で味付けされ、大台町産の桜の木のチップで燻されたチョウザメの魚肉。サシミと同じように薄くスライスされています。
フグやクエのようにしっかりした食感で、上品な甘味が口の中に残ります。コラーゲンがすごく多いのだとか。真空パックで冷凍されていますが、解凍してもドリップが出ることなく、歯応えがしっかりと残っています。
「以前、東京の商談会でチョウザメの煮凝りを作って出したら、みなさんすごく美味しい!と言ってくれました。他の魚と違うのは、骨は軟骨で、肋骨も少しありますが、基本的には背骨が真ん中に一本だけ。『脊索』といって、背骨のど真ん中に棒状のコラーゲンが通っています。煮ると、背骨も頭も溶けて、脊索だけが残る。それが美味しいんです!魚としては唯一無二ですが、例えるなら『すっぽん』ですかね。すっぽんのコラーゲンより匂いがない。チョウザメにはもともとないんですが、さらに匂いがないような飼い方をすることで、差別化を図っています。」
チョウザメ肉は、洋食以外にも和食、中華とどんな料理にも合うそうですが、辻さんが一番美味しかった食べ方を聞くと、「にぎり寿司」と答えてくれました。淡泊な白身ですが、口の中でゆっくりと溶けていく甘い脂は、確かにご飯によく合いそうです。
【アクアポニックス】
1980年頃にアメリカで発祥したとされる「アクアポニックス」という農業は、水産養殖と野菜の水耕栽培を同時に行う循環型システム。
日本でも古くから、田んぼにアイガモのヒナを放して、雑草や虫を食べてもらい、糞が肥料になるという「合鴨農法」が行われてきました。アイガモが魚に変わっただけで、考え方は同じと、辻さんは教えてくれました。
チョウザメは養殖業ではなくて農業の位置づけだそうです。
水槽が並ぶエリアの隣にあるのが、クレソン水耕栽培ゾーン。
養殖しているチョウザメの排泄物を、バクテリアが植物の栄養素に分解し、クレソンはそれを養分として成長します。クレソンの根が、「天然の浄化装置」の役目を果たし、水をキレイにしてくれて、その水が再びチョウザメの水槽に戻ってくる。これが、循環型農業「アクアポニックス」の仕組みです。
「クレソンは外光が当たりすぎると葉が焼けていくので、何重にも遮光カーテンをしていて、直射日光は当てていません。温度や湿度をコンピューターで管理しています。全部DIYで、自分で作りました。試行錯誤中のところもたくさんあるので毎日がDIY!」
辻さんは、ハウスの近く、神滝で眠っていた旧保育所の給食室を、約一ヶ月のDIYで加工施設として生まれ変わらせ、利活用しています。
南伊勢町に住みながら、大台町に泊まり込みで仕事することが多いという辻さん。始めたばかりなのでどんどん知ってもらいたいと、Instagramでの発信にも力を入れています。
「来年には1000匹に、将来的には3000匹に増やしていく予定。日本でも、食卓に並ぶような身近な魚になってほしいと思う一方、商品化するのに魚肉で最低3年かかるため、施設の管理やエサなどの経費も他の養殖と比べてかかってくるので、難しいところです。」
現在、家庭用としては、スタージョンロハス公式サイトのネットショップから購入できるほか、2023年9月から道の駅 奥伊勢おおだいの冷凍コーナーで魚肉のスモークが、また東京日本橋の「三重テラス」でも、魚肉の冷凍スモークとキャビアが取り扱われています。
そして、業務用としては、大台町の宿泊施設「奥伊勢フォレストピア」のレストラン「アンジュ」ディナーのオードブルでスモークが使われたり、魚料理としてポワレが提供されたり。
多気町のVISONにある三重の食材にこだわった創作料理レストラン「竜吟虎嘯」でも、辻さんの魚肉とキャビアが使用されています。
大台町の美しい自然の中で、大切に育てられているチョウザメ。この町に遊びに来て自然を満喫し、夜はチョウザメのスペシャルメニューをレストランで味わう旅にぜひお越しください。
スタージョンロハス
https://sturgeon-lohas.com/