今回紹介するのは、大台町新田(しんでん)の熊野街道沿いにある「旅館 岡島屋」8代目主人、昭和23年生まれの岡島 條二(おかじま じょうじ)さんです。
【「旅館 岡島屋」の歴史】
天保7年に創業した「旅館 岡島屋」の現在の建物は、岡島さんの小学生時代、昭和33年に建て替えられたそう。当時はクレーン車がなかったので、二階の作業はロープと滑車で材料を送っていたといいます。「戦後の日本の科学進歩、機械化により楽になったが、昔は工夫して苦労していた」と岡島さんは話します。
建て替える前の旅館の写真はなく、間取り図のみ残っています。この間取り図は、現在の旅館に展示されています。「戦争でB29が飛んでいくのは見えたそうだが、田舎なので空襲は受けなかった」と岡島さんはお父さんから聞かされたそうです。
大正12年、敷地内を横切る形でJRが通り、当時の旅館は分断しました。線路の向こうには、石垣の跡が残っています。また、当時の痕跡として、「岡島屋さんのところの土塀が良いから同じように建てよう」と旅館の隣の積木(つむき)さんの家は慶応年間に建てられたそうです。隣の土塀は今も残っているので、昔は旅館も同じように囲まれていたと推測できます。
【鉄道と四季の移ろい】
一階の部屋へつながる赤い絨毯の渡り廊下。窓の外にはすぐ線路があり、岡島さんが幼い頃は、「JRで帰ってくる家族が土産物を窓から敷地へと放り投げていたことを覚えている」と笑い話。筆者が伺っている最中にも、踏切が鳴り始めました。なるほど、驚くほど間近に車両が通ります。「今の列車の窓は少ししか開かないが、昔は乗客自身で自由にフルオープンにできた」ノスタルジックな思い出も、地域の貴重な記憶ですね。
旅館の中庭には池があり、金魚もいます。中の椿をはじめ、四季折々の風景を二階の客室から楽しむことができます。客室を見せていただきました。文豪が長期滞在し、窓の外から見える自然のあしらいを愛でながら筆を進めるようなイメージのレトロなお部屋です。現在は、熊野古道を歩く方がメインのお客様。インバウンドもしばしば利用します。「不自由を常と思えば不足なし」家康の遺訓が玄関直ぐの柱に飾られています。
【便利さで失われる昔ながらの知恵】
「時代はずいぶん変わった」岡島さんが生まれた頃は、水道がないので井戸からつるべで上げていました。電気もなかったので、冷蔵庫は木の箱で、氷を入れて保存していました。「今は便利な時代だけど、現代人は基本を分かっていない。昔はあるもので工夫して、ないものは作ってという時代。木造建築は管理していけば300年持つ」恵まれているのかもしれませんが、いざという時には昔ながらの知恵や暮らしの知識が必要になってくるのではないかと危惧している、岡島さんは若い人たちにそう伝えたいのでしょう。
【先代が残した景色】
さて、一階の食事の部屋からも日本庭園が眺められます。この部屋のふすまには絵が描いてあります。岡島さんのお父さん、先代の主人が100歳になる前に描いたものだそうです。「『お父さん、何しとるんや』と聞くと『絵描くんや』と。ポタポタ絵の具を落としながら描くので、私はバケツを持って補助していた」窓の外を見ながら描くわけではなく、心の中にある景色を描いたのでしょう。この光景が今でも忘れられないと、岡島さんは目を閉じました。
【岡島屋と熊野古道伊勢路の歴史】
岡島さんが中学生くらいまでは、岡島屋の前の家も「こうざか屋」という宿を営んでいたそうです。この地は熊野詣でが始まった当時から、伊勢から熊野へ向かう1泊目の宿場町でした。「1日に10~15kmしか歩けない人は田丸で泊まって、岡島屋のある栃原で2泊目、ここがだいたい30kmです。川添に『阿波屋』と、もう一つ宿があった」岡島さんは現在、地元の歴史ガイド団体「大台町ふるさと案内人の会」にも所属され、歴史をつないでいます。
やがて、熊野古道を行く旅人以外にも、旅館としてのこんな需要が発生してきます。「昔は宿がなければビジネスができなかった。交通網が発達していないし、車がないから」岡島さんの小さい頃は、富山から薬屋さんがビジネスに来ていました。当時薬局はなく、置き薬の文化です。薬屋さんは1か月程度滞在し、宿を拠点にして周辺に薬を売り歩いていたそうです。「ビジネス客が来る前には、大きな荷物と自転車が先に送られてくる。金魚屋さんとか、様々な業種があった」
その後も戦後の復興期で大規模工事が各地で行われるようになり、道路工事などの関係者が宿泊拠点としてビジネス利用していたため、岡島さんの親世代まで旅館は大変栄えていたそうです。
【地域活性に取り組む8代目主人】
岡島さんは大学進学をきっかけに実家を離れて生活し、静岡県でサラリーマンとして働いていました。定年退職し、Uターンして岡島屋を継ぎました。「ずいぶん寂れてしまったと感じた」と当時の印象を話します。「一極集中になってしまったのはなぜなのか。このままでは空き家が増え続ける」と、都市と地方の格差是正を願う岡島さん。2024年4月の「紀伊山地の霊場と参詣道」世界文化遺産登録20周年に向けて、熊野古道での地方創生に期待しているそうです。
岡島さんは、一願地蔵世話人会の代表も務めています。一願地蔵さんの前を通る小川沿いに整備された桜並木。近年、多くの人に訪れてほしいと桜の花が咲く季節にたくさんの提灯を飾り付け、夜のライトアップを開催しています。また、お願い短冊も用意され、一願地蔵さんへの参拝客に願い事を書いて桜に括り付けてもらっています。
2024年3月31日、一願地蔵さんの春の祭礼が執り行われました。「旅館も地域活動も、これからも続けていくためには健康が一番。体を動かしてないと固まっていくので、山に登りに行ったりしている」当時の宿場町であった大台町新田。そこに唯一残る宿を受け継ぎ、熊野街道を行くお客様をもてなす岡島さん。学ぶことはまだまだあります。ぜひ岡島屋に宿泊し、話を聞きに行ってみてください。
旅館 岡島屋
HP : https://web-odai.info/stay/hotel/stay/hotel-112.html
住所 : 三重県多気郡大台町新田26
Tel : 0598-85-0014