
今回紹介するのは、大台町柳原(やなぎはら)にお住まいで6年前から柳原区の区長を務めている中西 直明(なかにし なおあき)さんです。毎月18日の柳原おはこ市の代表、地域交通安全活動推進員、大台町日進(にっしん)地区のソフトテニスのコーチでもある中西さんに、大台町での暮らしについてお聞きしました。
【柳原観音と酒屋八兵衛のある区】
大台町柳原には、三重四国八十八箇所の第76番霊場、無量山(むりょうざん)千福寺(せんぷくじ)があります。本尊の手引き十一面観世音菩薩は聖徳太子により彫刻されたと伝えられる由緒ある古刹で、地元では「やないばら観音」と呼ばれ親しまれています。
また、柳原には、日本酒「酒屋八兵衛」で名を馳せる、江戸時代末期の文化2年(1805)に創業した造り酒屋、元坂(げんさか)酒造株式会社があります。
そんな柳原に生まれ、一度も離れたことはないという中西さん。中学、高校時代に所属していたクラブ活動、ソフトテニスにのめり込み、銀行員として働き始めてからも、地元を拠点に勤め上げました。
【スポ少のソフトテニスコーチ】
40年以上前に、日進地区のスポーツ少年団が立ち上がりました。日進地区とは、大台町千代、柳原、栃原、新田を含む、日進小学校の校区です。
当時、ほとんどの小学生がスポ少に所属し、100人を超える児童がスポーツで鍛えていました。野球、剣道、卓球など様々なスポーツがありましたが、今も残っているのはソフトテニスだけ。中西さんは長らくソフトテニスのコーチとして小学生を指導してきました。大台町のソフトテニスは強くて、県大会に進むこともしばしば。
「私の子どもがちょうど小学生だったとき、仙台で行われた全国大会に進んだ。4名ほどの選手が出場したかな。試合が多くなってきたけれど、それ以降は、水曜日と日曜日の週2回の練習だけだから、全国にはなかなか手が届かない」と中西さん。
ソフトテニスの練習は、旧協和中学校の大台町町民体育館で行われます。日進小学校近くにあった協和中学校は、平成27年3月に廃校となり、三瀬谷地区にある大台中学校へ統合されました。
中西さんは、学校の統合によるメリットもあると教えてくれました。大台中学校へは、三瀬谷小学校、川添小学校の卒業生が進学します。日進小学校の3校が集まることで、生徒数が増え、交流の幅が広がるなど刺激が多くなります。また、日進小学校に通っている児童は、学校から遠くても歩いて登校したり親が送ったりしていましたが、大台中学校へ行くスクールバスが出るようになり、千代や柳原に住む小学生も中学生と相乗りのバスで登校できるようになり、安全性が高くなりました。少子高齢化の中でも、子どもたちにとって少しでも安心して暮らせる環境が整ってきているといいます。
【区長の仕事】
中西さんは、6年前から柳原区の区長を務めています。本来であれば任期が1年で、次期区長は選挙で決められますが、あらゆる理由で今年も任命されたとのこと。
区長の仕事は、普段からの見回り。街灯が切れたり町道に関することだったり、何か問題があれば役場へ連絡します。また、毎月役場から発行される広報誌やチラシ類の入った回覧板を住民へ回す段取りをしたり、祭りや掃除、草刈りなど区の行事をまとめたりします。
「区長の仕事は大変ではない。相談に乗れるような人が向いてるんじゃないかな」。中西さんは、地域の頼れるリーダーの一人です。
【地域交通安全活動推進員としてのボランティア】
定年退職後、中西さんは大台地区交通安全協会の栃原支部に所属しました。支部長を務めるようになり、さらに、行政からの依頼で令和7年4月から、地域交通安全活動推進員のボランティアも始めています。中西さんが交通安全の啓発を積極的に行うのには、こんな動機がありました。
23歳の時、中西さんが運転する車で、二輪と接触する事故を起こしてしまいました。その相手が、なんと父親だったそうです。「そんな話あるのか?」と周囲にも驚かれたといいます。実は、その事故の少し前に中西さんの母が他界していて、それをきっかけに父は飲酒を始めるように。事故の時も、飲酒して二輪に乗ってしまっていたそうです。救急車で病院に搬送され、両膝のほか何か所も骨折していることが分かり、即手術。1年間入院生活を送ったそうです。親子間では保険も効かない。その経験から強い意識を持ち、いつか交通安全に関わる活動をしようと心に決めていたのです。
地域交通安全活動推進員は、保育所や小学校での交通安全教室、春と秋に行われる交通安全運動の期間中に街頭活動を行うなどの仕事があります。また、月に2~3軒の高齢者宅を訪問して、交通安全の啓発を行います。
また、中西さんは日進地区青少年健全育成推進協議会の委員長も務め、年6回程の地区の非行防止パトロールのボランティアを行っています。
【月に一度のイベント「柳原おはこ市」】
柳原観音千福寺では、2月18日に大縁日、その他の毎月18日に手引き観世音縁日が執り行われます。これに合わせ、参拝者をもてなし、参道のにぎわいを創出するため、2012年、柳原に住む10名が運営する朝市「柳原おはこ市」がスタートしました。中西さんは、おはこ市グループの代表を務めます。現在は、60代~80代までの8名が活動しています。
「地元に造り酒屋があることを生かして名物を作りたい」と開発したのが、元坂酒造の酒粕を使用した酒まんじゅうです。食物調理科のある隣町、多気町の三重県立相可高校から、製菓コースの先生を招き、試作を重ねました。
柳原おはこ市は朝8時半から正午頃まで開催しますが、毎回、名物「酒まんじゅう」は早々に完売します。リピーターも多く、松阪、伊勢志摩などから予約して買いに来るお客様もいるのだとか。月に一度、柳原でしか手に入らない幻の酒まんじゅう。和菓子好きの方は、ぜひ訪れてみてください。
「月に一度みんなでわいわい集まって酒まんじゅうを作り、イベントを開催することは楽しみであり生きがいでもある」。大台町柳原では、コロナをも乗り越え、わくわくするようなまちづくりが続けられています。
【大台町と柳原の魅力】
「柳原には、移住者も数人います。多気町に商業リゾートVISON(ヴィソン)ができて、関係者も移住してきてくれた。古い空き家を改装して楽しみながら暮らしてくれている人も」と中西さん。古民家を宿にしようとDIYを進めている移住者の方もみえるとこっそり教えてくれました。完成が楽しみですね。
多気町に近い大台町柳原は、伊勢市へも松阪市へも30分程度で出られる立地。これが、移住地として人気の理由の一つのようです。
大台町は、今後どうすればより良くなっていくか、中西さんの意見を伺いました。
「企業誘致をして働く場所を創出し、若者が生活できるようにする必要がある。働くところがないと出ていくしかない。人口減少は止められないけれど、大台町を気に入って、少しでも移住してくれる人が増えるとありがたい」。
柳原を含む日進地区には、こんな歴史もあります。昭和30年代~40年代の高度経済成長に伴った若者の都会への流出を危惧し、地域の活性化を図る組織づくりを行おうと「日進会」が立ち上がりました。昭和45年から続く日進会では、当初からの3大行事、夏祭り・運動会・文化祭が今もなお続いています。運営が課題となってくる今後は、他の地区との交流も進めていく方針だそう。
様々なボランティアを引き受け、地域をつないでいこうと取り組む身近なリーダー。話しやすく頼りがいのある区長さんがいる、それだけで安心して暮らせると思いませんか。