Vol.51 野呂 泰司 さん

Vol.51 野呂 泰司 さん

今回紹介するのは、温泉宿泊リゾート「奥伊勢フォレストピア」開業時にフレンチレストラン料理長を務めた、大台町上真手(かみまて)にお住まいの野呂 泰司(のろ やすし)さんです。料理人、野呂さんの人生とともに、この町に住む人々にとって特別な場所、奥伊勢フォレストピアの歴史についても紐解いていきましょう。

【料理人を目指したきっかけ】

三重県松阪市に生まれた野呂さん。小学校時代に、母親と一緒にキッチンに立ったことが料理との出会いでした。当時最先端だった電子レンジで、蒸しケーキのようなおやつを作り、バターを乗せて食べたのがすごく美味しくて、ずっと心に残っていたそう。

その後、中高生の頃にテレビで見た、堺正章さん主演ドラマ「天皇の料理番」に憧れ、フランス料理がやりたいという夢を持ちました。
「その頃は、洋食といえばデパートの屋上しか思い浮かびませんでした。ハンバーグぐらいしか一般的ではなくて、どこへ行けばフランス料理を学べるのか分からなかった」
高校時代、進路指導の教員からのアドバイスで、実家を出て、愛知県の「伊良湖ビューホテル」に就職。最初は、フラダンスなど南国のショーを見ながら食べることのできるBBQ部門に入りました。その後、念願のフレンチレストランに配属され、基礎を学び、セクションのシェフを務めるまでに。
「リゾートですから、完全なフレンチではなく、イタリアンやスパニッシュも織り交ぜた多国籍の良いものを集めたレストランでした」

【ホテルレストランで料理を探求】

その後、本場フランスで修行を積むため、現地でお世話になる店まで決まっていましたが、湾岸戦争に突入し不安定な情勢に。また、プライベートでも結婚し、第一子を授かる頃で、岐阜の長良川清流ホテルへ入ることとなりました。ここでは、宴会料理を覚えたといいます。

そして一度、三重に帰省。エクシブ鳥羽やタラサ志摩ホテル&リゾート(現TAOYA志摩)など、伊勢志摩のリゾートホテル内のフレンチレストランで研鑽を深めます。

奥伊勢フォレストピア

【山奥の田舎に宿泊リゾート建設計画?!】

さて、まだ影も形のなかった奥伊勢フォレストピアは、大台町と旧宮川村が合併する前の「宮川村」に建設が予定されました。

のちに奥伊勢フォレストピアの初代支配人となる野瀬誠さんに、地元松阪市でばったり出くわしたという野呂さん。伊良湖ビューホテル時代、野瀬さんはサービスマンとして、野呂さんは料理人として共に働く仲間でした。今はどこにいるのかと、二人の話が弾みます。野呂さんは、大台町と環境の似た愛知県豊田市足助町(あすけちょう)の町営ホテルのフレンチレストランに務めていました。その半年後、野瀬さんから「宮川村にリゾートホテルを作る計画がある」と声を掛けられたことが、人生の分岐点となりました。
「もしあの日野瀬さんと道で偶然会わなければ、今ここにはいなかったと思います」
人生、ちょっとしたきっかけで運命が動き出すのですね。

野呂さんは、奥伊勢フォレストピアができる1年前、基礎工事をしている時に旧宮川村へ初めて足を運びました。
「セクション料理長の経験はあっても、全体をまとめる総料理長は初めてなので不安もありました。山本泰助村長直々にぜひ来てくれと言ってもらい、チャレンジしてみようと心が動きました」
当時の宮川村の山本村長のリーダーシップの噂は、約10年前にここ大台町に移住してきた筆者もよく耳にするほど。観光地として大成功していた九州の湯布院をお手本に、三重にないから作ろうと、奥伊勢のこの地にリゾートホテルを築く一大プロジェクトを企てたのが山本村長です。観光地として紅葉のまちにしようと、清流宮川沿いに紅葉の木を植え、村の玄関口に観光案内所を置き…。あれよあれよと桃源郷が完成しました。

奥伊勢フォレストピア

【住民の夢と希望が詰まったホテルの完成】

「自分の村に、こんなにもスゴイ施設ができた!」と地域住民みんなが自慢し、一人ひとりが我が町の宣伝マンになり。絶対的な村のリーダーが「応援してくれ」と言えば、一丸となって親戚や友人を連れてくる。

1997年、奥伊勢フォレストピア開業。レストランアンジュ初代料理長に就任した野呂さんは、オープン当初をこう振り返りました。

「とにかく忙しかった。開業から1年は休みなしで働いていたような気がします。レストランだけでも10名を越える地元雇用があったけれど、フレンチで働いた経験がある人は皆無。前職の同僚シェフを連れてきてなんとか回して、追加で募集しても一向に料理人の応募はなかった。そんななか、宮川村の人たちにたくさん助けられ、支えられて乗り越えることができました」

40~50人キャパのレストランに、毎日100人のお客様が入り、交流会場では同時に宴会が行われる。外では、周辺を案内する馬車が走る。新しい施設が、自然環境と人という観光資源を掘り起こし、唯一無二の魅力を誕生させ、全国からの人々を集めました。

当初計画になかった温泉を、山本村長が「自腹を切ってでも作る」と進めた――この話も、私たち移住者や次の世代に、伝説のように語り継がれます。

奥伊勢フォレストピアの露天風呂

第三セクターが増え始めた時代。田舎と都市との交流、地域活性化に注目が集まり始めた頃、宮川村と奥伊勢フォレストピアは先進的であると脚光を浴びました。

清流宮川に沿って東西約30kmに及ぶ宮川村。フォレストピアまで車で30分以上かかる最深部、大杉谷からも何名か地元雇用され、毎日スタッフの送迎車が出ていた。調査はしていませんが、村全体の所得も上がったことでしょう。

地元住民が愛し、活気づくことが魅力となり、都市からのお客様も引き寄せていく。野呂さんは、料理長としてお客様から飽きられないよう試行錯誤し、日々多くの方をもてなしました。

奥伊勢フォレストピア

【災害による風評被害で苦戦】

そんなさなか、災害によりこの勢いが無残にも絶たれることになります。

平成16年9月に発生した台風21号。最大時間雨量131㎜。28日午後の降り始めから連続雨量が703.5mmに達し、翌朝29日9時30分から11時頃にかけ、斜面の崩壊や土石流、地滑りが相次いで起こりました。死者6名、行方不明者1名。20棟の家屋が全壊し、17棟が半壊。全国ニュースに取り上げられた宮川村は、悲しみに包まれました。

「フォレストピアまでの道も崩れましたが、その日のうちに通れるようにしてもらった」 長い間断水が続くなか、休業中だった温泉は、地元住民へと解放されました。野呂さんやフォレストピアのスタッフは役場に駆り出され、全国から届いた支援物資の仕分け作業を担うなどしたそうです。

「災害後に営業を再開してから、風評被害に苦しむ時期が長かった。フォレストピアに遊びに行って、また道が崩れたらどうしよう…と」

平成18年1月10日、宮川村は大台町と合併して、現在の大台町となりました。行政も、奥伊勢フォレストピアのイメージ回復に尽力し、野呂さんをはじめとするスタッフは、以前にも増して真心を込めたサービスに務めるようになりました。

奥伊勢フォレストピアの料理

【奥伊勢フォレストピアの魅力】

奥伊勢フォレストピアのレストランアンジュの売りは、旬によって、ここでしか食べられないものを提供すること。鹿、イノシシ肉などのジビエ、鮎、アマゴなどの川魚。松阪牛の産地でもある大台町。奥伊勢の風土が育てる野菜やキノコ。町のみならず、周辺市町にもフランス料理を食べられるお店はありません。リピーターも多く、料理長が呼ばれお褒めの言葉をいただくこともしばしば。
「都会から来る人には、時間を忘れてゆったりと癒される空間であってほしい。地元の人には、特別なアニバーサリーや日々のご褒美に、気軽に楽しめるフランス料理を味わってほしい。夏は川遊びを楽しみに来る家族連れでにぎわいますが、他の季節でもお客様からは『何もなくていい』と言われます。それが魅力」

令和5年3月、野呂さんは60歳で役職定年となり、引き続き再雇用されています。レストランアンジュは、三重県立相可高校食物調理科1期生の田所厚樹さんが料理長を引き継いでいます。

奥伊勢フォレストピア

野呂さんに、大台町の良さを聞きました。
「人の温かさ。本当にたくさん助けてもらいました。子育て環境も良かった」
フォレストピア開業当時、家族で大台町に移住した野呂さん。3歳と5歳の子供たちが馴染めるか心配したそうですが、自然の中で友達との絆を深め、まっすぐに育ったと笑顔を見せました。
「料理人は特殊な職業。この料理を覚えたいからと様々な厨房を転々としてきましたが、それに付いてきてくた妻には感謝。大台町を第二の故郷だと思っています」

【大台町と奥伊勢フォレストピアの未来】

調理器具を集めることが好きである一方、野呂さんにはアクティブな一面もあります。大台町にはバイクが趣味の人が多く、ツーリングに誘ってもらったこともあるそうです。また、移住当時は幼かった子供たちが就職し、ゴルフをやり始めたとのことで、一緒にラウンドするためにゴルフを再開したとも。登山をしていた時期もあり、大台町の良さの一つに、大杉谷や熊野古道があることとも答えてくれました。

「移住者もちょくちょくいる。彼らが定住していける町になればいい」

野呂 泰司(のろ やすし)さん

そして、令和7年4月、まだまだ若く経験の浅い坂東支配人と田所料理長を支えるため、統括責任者に任命されました。
「60を越えてゆったりと生きていきたいですが、ちょっとした相談役として、年の功でアドバイスできれば」とはにかむ野呂さん。

野呂さんの人生を通して、旧宮川村の希望であり夢であった奥伊勢フォレストピアの歴史を知りました。この先も10年、20年と持続していくために必要なことは何でしょうか。
「お客様に選ばれるホテルでなければいけません。特別なことはできなくても、些細なことに気付けるサービス、想像以上のサービスを提供していきたい。完璧にはできなくても、トータルとしてバランス良く、開業当時の雰囲気を残す、温かみのあるホテルであり続けてほしいです」
経験と歴史と精神を継承したいと、この町を愛する後継者たちが、先輩を頼っている。両者がそろう大台町は、奥伊勢フォレストピアは、あの頃のような活気を必ずまた取り戻すでしょう。持続可能な観光地の宿泊拠点、奥伊勢フォレストピアを今後もぜひご利用ください。

奥伊勢フォレストピア
HP : https://okuiseforestpia.com/ 
住所 : 三重県多気郡大台町薗993番地 
Tel : 0598-76-1200

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