Vol.30 坂本 浩 さん

Vol.30 坂本 浩 さん

今回のインタビューは埼玉県出身で天ケ瀬(あまがせ)にお住いの坂本 浩(さかもと ひろし)さん。

自然に関わる仕事をしたいとやってきた大台町で、大杉谷自然学校を経て、藤原林業の親方に出会い20年。「山づくりは国づくり」の信念を持つ彼のもとに、今、異業種の来訪者が次々に訪れるといいます。そんな坂本さんに「山の、山で終わらない話」をお聞きしました。

【答えの見える森づくり】

坂本浩さんが管理している山林

「まずは、僕らが管理している山を見に行きましょう。」と案内されたのは奥伊勢フォレストピアに近い茂原(もばら)の山でした。車で簡易なゲートを抜け、高低差のある木々が見える場所に着くと、「あの辺りは下草や低木が育ってきているので、もう少し手をいれれば、山本来の力を取り戻します。」と話し始められました。

今、日本中にある住宅用に植林されたスギ・ヒノキの人工林は、木が売れなくなったことで、利益を生まない空白地として管理が行き届かないでいるそうです。「山は、日本の文化の源流です。見放された山をどうしていいのかわからないという現状に対して、我々は『答えが見える森』を育てているんです。」

林業というと、木の間伐、切り出し、植林をするイメージですが、下草や低木を育てるというのは一体何のためかとお聞きすると、「山の土の流出を止めるため」なのだとか。適切に管理され、広葉樹などの低木が程よく混じる山の土壌は豊かな養分があり、深く根が張って保水力があり、土砂災害や鉄砲水を起こしにくいといいます。

坂本さんは、荒れた山が「自然の織り成すタイムスケジュールに沿えるようになるまで、リハビリをするように」丁寧に面倒を見るのだそうです。

坂本浩さんが管理している山林

【経済と環境の天秤の上で】

木を木材にするためには、山から木を切って運び出さなければならなりません。しかし日本は複雑で急こう配な地形が多いため、伐採した木を運びだす重機がそのまま入り込める場所はほとんどないのだとか。そこで、海外のように山を削り、重機やダンプカーを走らせるための作業道を作ることが一般的に行われています。ところが、削られた作業道に雨が降ると、そこが水路になり、土砂崩れのきっかけになるのだそうです。

その集材作業を坂本さんたちは山が傷つかないよう、「架線集材」という方法で行います。この「架線集材」は、昔ながらの方法で、空中にワイヤロープを張り、木をゴンドラのように吊るした状態で運び出す技術です。大変手間がかかるそうですが、重機を使わず、山を傷つけず、省力で行うことができるのだとか。環境面からみれば申し分ない方法ですが、ここには経済と環境のジレンマがあるといいます。

「重機を使わず、土砂崩れが起きない方法というのはつまり、山を削り、崩壊したところを治すための『土木の仕事を増やさない方法』ということなんです。それでは困る人がいる。今想定されている経済を動かさない。ここはバランスのむずかしいところですが、今の時代にどうあるべきかを模索しなければいけません。」

木が利益を生まないとすれば、山を別の方法で利益を生む場所にしようと、太陽光パネルや風力発電事業に提供する山主さんも少なくありません。「誰も100年後の環境がどうなっているかなんて、想像しないですよ。その気持ちもわからなくはないんです。」

坂本浩さん

「ただ、想像以上に山はデリケートなんです。」坂本さんは、林業の大規模化が進むと、日本の風土に合った技術が失われ、同時に豊かな山の土が流出することを心配しています。
「歴史を紐解けば、土の流出を止められなかった文明は皆、滅びているんですよね。」

【仕事の価値を求めて】

空手と柔道に明け暮れていたという学生時代、仕事については深く考えていなかったという坂本さん。秩父の化学工場でインクジェットプリンターを作っていたある日、工場の外に出てみると、空高く小鳥が鳴き、何とも自然が眩しく感じたそうです。埼京線の満員電車に揺られる日々に空虚さを感じるうち、週末ごとにバイクにテントを積んで、できるだけ遠くへと走り出さずにはいられなくなり、ついには会社を辞めてしまいます。
「自分のルーツというか、心の拠り所みたいなものを求めていたんですね。」

そして親方(藤原 康孝(ふじわら やすたか)さん)に出会い、昔ながらの技術を学び、見捨てられた森林の再生をすることには「なぜか」充実感があったそうです。とはいえ、坂本さんがこの仕事に携わるようになった頃、林業はすでに斜陽産業でした。底だと思っていた業界の落ち込みは続き、十名程いた従業員はひとり、またひとりと辞めていきました。親方とふたり「きっとこのままでは終わらない」と話しながらも、不安がぬぐえない日もありました。しかし、

「我々は、木を切る時にも1本1本見て、これは100年育つ木だと確信を持って手入れします。それを続けて10年たった時、山の麓の米農家さんが訪ねて来て言われたんです。『藤原林業が管理してくれるようになってから、山から来る水量が安定した。雨が降ったら鉄砲水のようで、降らなかったら流れないのではなく、降る降らないに関係なく水が流れるようになった』と。」

坂本浩さんが管理している山林の様子

「林業というのは、山だけじゃないんだ。」と視界が開けた坂本さん、迷いがなくなったそうです。

【山の価値を求めて】

「木材価格に左右されない山の価値がある」という気づきは、その後山を訪れる人や異業種とのかかわりによってさらに確固たるものに変わっていきます。

志摩で養殖を行う会社からは、近年山から川へ流れ込む水に栄養がなく、沿岸部の海が磯焼けを起こしている現状を聞き、また、「赤福」の社員さんグループは「海が枯れているのは、山が枯れているのだ」と、源流のあるべき姿を求めて視察に訪れたといいます。「山を持つこと自体がステイタス」と、整備された山を買いたいという企業や個人も現れました。土を守ることは世界に通じるため、海外の人が日本の木材文化に興味を持って、価値を掘り起こしてくれることもあるそうです。

重ね日の森

「林業というのは、国を守ることだということにたどり着きました。自衛隊の皆さんは武器を持って守ります。我々林業はチエーンソーを持って国を育む、その仕事なんだということに確信を得ました。日本の秩序の回復は、おそらく山から始まるんじゃないか、と。」

コロナ禍を経て、山につながりを求めて来る人がぐんと増えたそうです。山と里、山と海、山と文化。人間の生存が脅かされる時、「命を育む場所に帰ろう」という本能でしょうか。自分自身のルーツやアイデンティティなど、「心の源流」を山に求める時代なのかもしれないと坂本さんは考えています。

【これから】

坂本浩さんのワークショップの様子

坂本さんは「山の奥で、いろんなこと考えながらやってるんですよ。お金はないけど、公益的価値のある仕事だってことを伝える活動をしていきたい。」と仰います。また、「中小の林業は瀕死の状態ですが、そこから目を離さないで欲しい。」と願っています。一本の木が地中に根差した数多くの微細な根によって土をつかみ、その集合体によって大木を支えるように、森林とともに生きる技術を持つ中小の「独り親方を増やす」ことが、日本の技術力の層の厚さであり、やがて国の経済の根幹をゆるぎないものにするはずだ、と。その信念のもと、今日も坂本さんは山で100年後を見据えて山を育てています。

【取材班のあとがき】

坂本浩さんの手

「こんな手ですみません。」いつもはチェンソーを持つがっしりした手をころころ丸めて笑う坂本さん。足場丸太をつくるために、木の皮を剥いているんですがヤニがなかなか落ちなくて、と。木の皮を剥ぐには、水分を多く含む5月から9月ごろが適しているんですって。いつか友人と一緒に山の知恵なんかもお聞きしたいなぁなんて思っていたら、「どなたでもご連絡いただければご案内しますよ。」とのこと。沢の水がきらめく夏も、地元の方が植えてくれたという楓が色づく秋も、訪れるにはステキかもしれません。

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