今回のインタビューは栃原にお住まいの積木 明(つむき あきら)さん。
公民館講座「栃原地史を考える会」の発起人である積木さんと会員の皆さんに「地元の歴史を知る魅力」について、お話を伺いました。
【記録を残す】
どこの地方にもある話ですが、小規模の集落での行事や習慣は文字に起される機会もないまま続けられ、それゆえ移住者や若い世代に敬遠される要因となることもあります。「団塊の世代」の積木さんは退職後、70歳を前に「日進(地区)の中にも昔からの行事や歴史がある。何か形に残さないかん。」と思い立ち、平成28年公民館講座として「栃原地史を考える会」を発足されました。
「昔から栃原地域に伝わってきた行事や各分野の歴史を調べなおして、それをまとめたものを地域の人たちに伝え、若い人たちに継承していこう。また、気楽に何でも話し合える場をつくろう」との思いでした。
積木さんの呼びかけに応じて集まった会員の多くは区長経験者で、年代もよく似た方々です。積木さんは、講座の初回に「やらないかん」と考えていたテーマを20項目ぐらい掲げました。今、当時の事項書を振り返ってみて「だいたい手を付けてきたね。」と仰います。事項書の紙の束の厚みを見ると、これまでいかに回を重ねて話し合われたかが伺えます。
【足で稼ぐ】
会員は各々異なるテーマを主に担当しています。住まいに近い地域の歴史や、特に興味のある分野を掘り下げます。調査は、机上に留まりません。テーマごとに「足で稼がにゃいかん」と、皆で現地に出かけるのです。
かつて、宮川には船で対岸に人や荷を渡す「渡し」がいくつもあったそう。この調査のために宮川の畔を訪れた時には、古い地図と現在の地図、その場の手がかりから当時に想いを馳せました。現地では、大水の時に流されてしまった方を供養するお地蔵さんや供養塔が見つかったといいます。お目当ての調査が一通り終わると、地区全体を表した大白地図に名称を書き込んで、赤く縁取りしていくのだとか。さながら「宝探し」のようですね。
文献から記録をたどる時は、大台町町史、宮川村史、言い伝えを書き留めたもの、この辺りにまつわる古本や雑誌を持っている方からの情報提供などを基にします。昭和60年頃に教育委員会が発行した郷土調査報告書1~6集なども研究資料になるそうです。町立図書館には参考になるものがほとんどなく、地史の会で調査・保存しているものの方がより詳しい資料となっているのではないかということでした。
【地史を伝える】
調べたことを地元の方や子どもたちに伝えることも活動の要です。そんな発表の場のひとつが日進会の文化祭です。日進小学校の校区にあたる日進地区には、自治会から学校のPTAや保育園の保護者会までが属する「日進会」という大きな組織があり、地域の夏祭り、運動会、文化祭を主な年間行事としています。その日進地区文化祭は、例年11月に小学校の体育館で行われます。
文化祭は、地区内で制作を行う個人の作品や公民館活動、市民活動、子供たちの作品や学童の活動などが一望でき、展示物を介して地域の方と知り合うきっかけが生まれる場でもあります。
「地史の会」はこの文化祭に、毎年テーマを変え、半年以上かけて調べたものを展示解説しています。また、ここに発表することで小学校と関わりが生まれ、先生から「子どもたちを連れてあげられる場所はないか」と相談を受けたのだそうです。
そこで、7年程前から小学生を連れて「水神山(みずかみさん)」への解説付き登山を始められました。参加した子どもたちからの手紙には、身近な土地の歴史や言い伝えを知った驚きや、一緒に登ってくれたことへの感謝が綴られています。「こういうところへ一緒に行くことで、郷土を守ろうとか、大事にしたいという気持ちが芽生えたりするのかな。ま、そう簡単じゃないとは思うけどね。」と積木さん。
【メンバーの想い】
会員の方々にとって「地史の会」はどのような場なのでしょうか。
「仕事上のつながりが失われ、これから何をしようか、と考えた時に始めたのがこの会です。」と、会の概要をご紹介くださったのは、中村 行雄(なかむら ゆきお)さん。「公民館に常設展示されている大きな日進地区の俯瞰写真は、前川 富郎(まえかわ とみお)さんが作ってくれたもの。」「多気VISONから水神山頂上に至る道の整備も、VISON側の方々と一緒にやった。」などと教えてくださいました。
岡島 條二(おかじま じょうじ)さんは退職後、家業の旅館業を継ぎながら、地元に空き家が増えていくのを寂しく感じていました。そんな時、積木さんが会を旗揚げされたので、ご自分も地方創生の一端を担う気持ちで参加されたそうです。「明治生まれの親にいろいろ聞いておけばよかった、と思ってね。情報を得る手段が失われつつあるんですよ。」担当は「一眼地蔵」。大台町史、宮川村史以外の資料がほとんどないという状況の中、それ以外の「新しい事実をどんどん発掘して、残していきたい」と考えているそうです。
退職後、学童保育に関わる傍ら地域との関わりを求めて参加した宮田 明彦(みやた あきひこ)さん。正直、歴史好きではなかったのだとか。しかし、「仮説を立て、証拠を見つけるために動く」という経験を重ねるうち「(過去を)想像すること自体が醍醐味」と思うようになったそうです。「日進小ができるまで」を担当した時には、たくさんの卒業文集や記念誌をもとに、ばらばらの事実が一致しはじめ、確信に変わるのを体感し「満足感があった。過去を見つけたことが嬉しく、自分のしたことがこれからも残っていくのかなという喜びがあった」といいます。
地史の会は「雑談が面白くて。」地元を愛してくれる会員の多くが、外から来た人だということに、地元の自分も頑張らねばと奮起させられるのだそうです。「なんてことない平凡な『今』も歴史の一部なんだ、と。」
「見せ方も大事。」と話してくださったのは「稲荷さん」担当の積木 啓壱郎(つむき けいいちろう)さん。コロナ以前は小学校で昔のあそび(手毬やお手玉、藁の編み方など)を小学校で行っていたそう。「子どもたちはそういう体験から『ふるさと』を認識していくんだと思う。」「歴史は代々、認識し直していく必要があって、それがなければ途切れてしまうから」と。
「昔は物資の移送に、宮川や熊野街道等を利用して運んでいた。鉄道ができたのは大正11年頃で、大台町を走る国道ができたのは昭和の時代に入ってからです。どんどん変化する。それをどう伝えるか。」
ふつうに生活する人が、分厚い歴史の資料を広げる機会はまずない。地史の会が調べたことも、まとめるだけでなく「大きな地図に古い写真付きで、文化祭などで見せると、みんな興味深げに関心を持ってくれる。地域とのつながりを大切にしていきたいと思う」とお話しくださいました。
「私はもう、これまで一生懸命働きましたのでね。これからは、合わない人付合いに苦心するより好きな人と遠慮なく話したい。誰に何を言われるでもない、『自分の行動=生き様』という考えです。」という木下 正芳(きのした まさよし)さん。この地域に住むからには歴史と文化を知りたいと思い、「伊勢神宮が存在することで、奈良時代以前から森林群、神三群(カミサングン)と呼ばれたのがこの地域。」神領地としてのルーツをたどり、伊勢神宮について「徹底的に」学んでこられたそうです。また、これに関連して、大台町を横切る熊野古道・伊勢参宮道、宮川などについても造詣を深めていらっしゃいます。
「なにしろ、こういう話が30分~1時間できる仲間はなかなかいないので大切にしていこうと思うんです。」と熱く語ってくださいました。
「もうみなさんが先にいいこと言ったから、言うことないんだけど。」と笑いを誘ったのは山門 辻弘(やまかど つじひろ)さん。「地元に居ても知らないことはいくらでもあるからね。これからも皆さんの後について勉強していこうと思っている。」とにこやかに締めくくってくださいました。
【活動のこれから】
現在は「日進の昔と今を楽しもう」というテーマに取り組む地史の会。千代・柳原地区については、参考資料の少なさに悩みつつ、新たな仮説にみなさんワクワクされているようです。「現在、(この地域の)熊野街道と呼ばれているところは、江戸から現代に使われた比較的新しいルートなのではないかと推測しています。なぜかというと、千福寺の位置が昔と違っていた記録がある。それなら、江戸以前の熊野街道は別のルートだったのではないか。」 今後は本郷、栃原、新田地区も改めて、順に再調査する予定だそうです。
また、「地史の会」が調べ、まとめ、保管している資料は「地元の財産」でもあるので、残す場所を検討中だそう。いずれどこかに、資料館のような形で「日の目を見させてやりたい」とのこと。楽しみですね。
最後に積木さんは、大台町の端から端までの地域の地図を示しながら仰いました。「大台町は広い。他の地域でもこのような会がところどころにでもあれば、情報のキャッチボールができ、町の魅力も上がるのにと思うこともある。」「でも、今は日進の地域を一生懸命楽しむつもり。」
「地史の会」は、面白い企画や古い写真などの情報提供もウェルカムだそうですよ。ご関心のある方は、日進公民館に講座開催日時などをお尋ねください。
※インタビューにご協力いただいた栃原地史を考える会のみなさん(前列左から中村 行雄さん、積木 啓壱郎さん、積木 明さん、岡島 條二さん、後列左から宮田 明彦さん、木下 正芳さん、山門 辻弘さん)
【取材班のあとがき】
月1の貴重な勉強会の時間にお邪魔した今回のインタビュー。会員の皆さんの半端ない知識欲とフットワークの軽さに圧倒されている取材班をよそに、情報交換のオフレコトークにも花が咲いていました。「行政頼りはもうやめようってね。」積木さんの行動力に始まった「栃原地史を考える会」。会員の方々のお話を聞くにつれ、人も地元も「知れば知るほど好きになる!?」、「地元愛」発生の原点に触れた気がしました。