今回のインタビューは長ケ(なが)で「長ケカラオケ喫茶ともちゃんの店」を運営する西岡智生(にしおかともたか、旧姓 野口)さん。
空き家を改装し、地元の憩いの場を作ったオーナーは東京足立区生まれ。「お金と人情」抜きでは語れない怒涛の半生と、大台町での新たな暮らしについてお話いただきました。
【人生の山と谷】
「俺、めぐまれてんだ。家庭が」。
中学生からリーゼントをきめて、バイクを吹かすやんちゃな少年時代を送っていた智生さんですが、大企業の元重役だったお父様は、進路について怒ることもなく「我が道を行け」と仰ったそうです。
そこで、智生さんは運送会社をしていた叔父さんの下請けとして資材運びを始め、19歳で仲間と独立。その後、建築ブームの波に乗り22歳の時には株式会社を立ち上げます。
株式会社設立後は、大手物流会社の社長だったおじい様の影響力も借り、名だたる企業の荷を引き受けていきます。経営の多角化も図り、自社と下請け企業を含めると、約100人の人を使い75台ものトラックを動かす会社に成長させました。
その頃の手取り日額は約100万円。六本木の店で1本50万円のドンペリを空け、周囲には芸能人がいる、羽振りのよい生活でした。「お金を持っていると貸してくれっていう人も来る。ところが貸すと返さない。仕方ないから取り立てに行く」。
そんな智生さんの経験は、当時の飲み仲間で同い年の俳優、竹内力さんの出世作「ミナミの帝王」の演技や演出に生かされたといいます。(同映画No.2~10のエンドロールに企画協力者として名前が記載されている。)
順風満帆に見えた社長業でしたが、27歳でバブルが崩壊。突如として、担保にしていた地価は暴落し、トラックのローンを抱え、仕事が来なくなりました。智生さんは29歳で残った仕事を弟に継がせ、自らは社長を退き、個人で12億の借金を抱える身になったのです。
【七転び八起きを目指して】
返しようのない借金を前に、知恵をしぼり手を尽くしましたが、最後には債券放棄を促され、従うことに。経験から多くを学んだ智生さん、転んでもただでは起きまいと、焼き肉店を経営したり、金融に関わる仕事をしたり。もがく中で、しだいにその経験値や人脈を知る人たちから揉め事の相談や、弁護士にも相談できない案件を持ち込まれるようになり、解決に奔走するようになります。
法のボーダーライン上を綱渡りするような日もあり「俺、こんなこといつまで続けるのかな」という思いがよぎる頃、転機が訪れます。
【ここでいい。のきっかけ】
智生さんが、大台町に来たきっかけは、当時お付き合いしていた現在の奥様(西岡藍さん)の祖父の介護を手伝うためでした。藍さんに「男手がいる」と言われ、一時の旅行気分でこの町に来たそうです。
お祖父様はかつて町議会で議長を務めたこともある方で、意識はご健在ながら、身体の自由が利かない状態でした。智生さんは、仕事が多忙な藍さんに代わり、介護全般を引き受けることになったのです。「彼女のおじいさん」を車椅子に乗せて地元の食料品店「海ものがたり」に連れていくと、食べたいものを買ってくれるので、ほとんどお金を使わずに済む生活でした。
とはいえ、先の見えない介護の日々には、「他人のやっかいな相談事を受けていた自分が、今は誰かに相談に乗ってもらいたいくらいだ」と思うこともあったそうです。
お祖父様が亡くなる3日程前のこと。唐突に「名前はなんて言うんや」と尋ねられたそうです。8か月一緒に生活してきて今かと思いつつ「智生」と紙に書くと、その上に震える手で「西岡」の二文字を付け加えられたのでした。それを見て「西岡になるか」と心を決めたのだそうです。
【帰れなくなっていた】
介護は終わり、東京への帰郷を望む声も少なくなかった西岡さんですが「帰れなくなっていたんだよね」と可笑しそうにいいます。
「なんか田舎に若い者が来たっていうと、長老たちがあれやこれやと『役』を持ってくるんだよ」。亡くなられたお祖父様が地元の名士でもあったため、後を継いでもらおうと、「部長」だの「檀家総代」だの聞いたこともない役割を次々に任されたそうです。
この町では地区の草刈りなどを住人が集まって行う「であい」という奉仕作業がありますが、状況がわからない智生さんは、沿道に草刈り機の音がするたび「出番か?!」と、地区8部すべての「であい」に駆け付けたそうです。
しばらくすると「あんた、誰や。自分の部だけ出たらええんやよ。まぁ来たなら一緒にやろう」と。でも、そのおかげで一気に顔が広くなったのだそうです。
「人生100年。残りの50年はここでいいかって思っちゃった」。
こちらでは50歳はまだまだヒヨッ子。また起業しようと思い東京時代の仲間に声をかけたところ、中国で日本製品を扱っている会社に商品の手配をしてくれと言われ、「それなら田舎でもできる」と思いやってみたところ「バカ儲けしだして」。平成27年に合同会社西岡(貿易業)を設立し、その後も事業は順調に推移。いまも「バンバン儲けているよ!」とのことです。
【「自分の欲しい場所」をつくる】
ともちゃんの店は、仲良くなったご近所さんが「好きに使って」という空き家を借りています。以前、近くの公共施設「ふるさと工房」を有効に使おうと役場に掛け合い、カラオケ会を始めたそうですが、酒類の持込みをよく思わない人もいて、ここに場所を移したそうです。カラオケ会は趣味の会でしたが、設備費用もかかるため、わずかながらお金を取る「店」に変えていきます。
自分で改装しようと壁を抜いたら、大工さんに強度を心配されたので柱を入れ、保健所にダメ出しをされるたび、手を加え。許可をもらうまでに何度も足を運んでもらったといいます。
そうこうして、お客さんが自分で伝票を書いたり、セルフで生ビールを入れたり、オーナーの作る料理が価格の割に「山盛り」なことを心配されるような、敷居の低い店ができました。人件費も稼げない店ですが、「ふらっと行きたいときに歩いて行ける、そういう場所があったら自分が行きたいんだよね」といいます。
ステージ奥には衣裳部屋があって、お抱えのパフォーマーが居ないからと、オーナー自らが歌手の物真似をしてお客さんを沸かせることもあります。
サービス精神旺盛なオーナーと奥様によって、地元の憩いの場になった店に、最近は少し離れた場所からもお客様が来てくれるのだとか。「自分では気が付かないけど、こっちに来たら、東京にいた時と顔が全然違うって奥さんは言うよね。男は外に出たら7人の敵がいるっていうけど、何十人もいたからね」。
【大台発、面白チャンネル!?】
これからこの町でやってみたいことをお聞きすると、「おおだいチャンネルを面白くしたいね」と意外なお答え。「おおだい行政チャンネル」はMCTVのコミュニティチャンネルで、町議会や地域の文字情報などを見ることができます。
「地元の人を役者にしてドラマを創ったら、きっと面白いだろうな。町の話題は本当に地元の人がよく見ているから。税金じゃなくスポンサーをつけて、見たことないめちゃくちゃ面白いローカルチャンネルを創りたいね」。それには「仲間を集めなきゃ」と楽しそう。
情に厚いリーゼントの苦労人からは、これからも田舎の面白切り込み隊長でいてくれそうな予感が漂っていました。
【取材班のあとがき】
怖いもの知らずにも見える西岡さんですが、動物のこととなると話は別。以前愛犬が亡くなった時には、つらくて火葬開始のボタンを1時間も押せなかったとか。取材前日にも、別の愛犬が逝き、店は弔い休み。「(取材を受けるには)ちょうど良かったよ」と寂しげながら冗談を交えてくださいました。
この町に来てから飼い始めた犬たちは、ほとんど動物保護団体が連れてきた子たち。老犬や視力のない子もいたそうです。“頼まれると断れないお父さん”によって新たな居場所を得たワンコたちは、今日も広々としたお手製の柵の中で2匹の白ヤギと走り回っています。
カラオケ喫茶 ともちゃんの店
住所 : 三重県多気郡大台町長ケ326番地
Tel : 080-2627-0299
営業時間 : 13:00~17:00
定休日 : 日曜日・祝日