今回のインタビューは、上菅の高台で暮らす松本明智(まつもと あきとも)さんです。
インタビューにお伺いした日は、なんと京都から大台町へ移住した10周年の日。そして、その日は、東日本大震災の次の日でもありました。
【やる気のスイッチ】
当時58歳だった松本さんは、仕事も辞めて、のんびり気ままに隠居暮らしをするつもりで大台町に移住しましたが、地元の人たちには「若いなぁ。」と言われ、とても驚いたそうです。よく考えれば、ご近所の方は自分よりも年上ばかり。自分の年齢は、ここではまだ若手、「自分にも、まだ何かやれることがあるのかもしれない。」と、スイッチが入ったそうです。
東日本大震災のこともあり、大台町の土地のことを考えた時、ここは、三重県の中では海からも距離があるので津波の心配がなく、山が近いので土砂崩れはあるかもしれないけど、地盤がしっかりしているので、大台町内に居れば安心ではないかと思ったそうです。
そして、もし大きな地震が起こったとしたら、災害後の1週間程がしのげる食料の備蓄と自給力があったら大丈夫。水は近くの溜池や山からの沢水があるので、食料を確保するために、畑での野菜の自給を考えました。
移住前は、野菜作りをしたことが全くありませんでしたが、家の前にビニールハウスを建てて野菜を作り始め、今では、毎日の土いじりがとても楽しくなったと話してくださいました。
ご近所さんも畑を持っている方が多いので、食べきれないほど収穫できた時には、野菜交換をする交流もあるそうです。
【大台町で見つけた新しいこと】
奥様の順子(よりこ)さんは、暖かい時期は畑が忙しいけれど、冬場は畑仕事も落ち着き、たっぷりと時間があるので、コタツに入って、荷造り用のPPバンドを使ったバッグ制作に没頭されるそうです。
はじめは、空いた時間に趣味程度に始めたバッグ作りでしたが、今では「道の駅 奥伊勢おおだい」やイベントでの販売の他、ネット販売もしていて、すっかり冬の仕事になっています。
「PP工房」と名前のついたアトリエには、さまざまな模様のバッグがずらりと並んでいて、PPバンドで作られたと思えないほど、カラフルでおしゃれなバッグばかりでした。
【上菅の魅力】
また、松本さんご夫妻に、この場所の魅力についてお聞きしたところ、この高台ならではの風景についてお話してくださいました。
高台から見下ろすと、移住したばかりの頃にはなかったソーラーパネルが増えてしまったので、少し変わってしまいましたが、山の四季折々の風景は変わらず美しく、早朝に山からたくさん霧が降りる日には、まるで雲海の広がる山の上にいるような風景が見られるそうです。
そして、ご自宅のすぐ側には湖のような大きな溜池があり、池の向こう側には、堂々とした山々がどこまでも広がっています。時々、向こう岸で、猿の群れが遊ぶ様子を見ることもあるのだとか。
野菜作りをしているので、獣害は悩ましいことではありますが、都会ではなかなか経験できない、大きな鹿や猪、狐、たぬき、リスとの遭遇、そして、さまざまな鳥たちの訪問が、日常の楽しい一コマになっているそうです。
【松本さんの取り組み】
また、松本さんは、ご自分の暮らしのことだけでなく、行政ではなかなか行き届かない地域の小さな問題についても、取り組まれています。
その一つに、この地域に暮らす一人暮らしのお年寄りが、人との交流が少なく話し相手がいない為、寂しそうにしていることが非常に気がかりになっているそうで、少しでも外に出て交流して欲しいと考えています。
他の人との交流が少なくなっているお年寄りの話を、まずは聞いて、困っていることがあれば、その問題についてどうしたらいいか、身近な人たちと考えて、解決していく努力をされています。今は、コロナ禍で集まることが難しいけれど、小さくても地域の人たちが楽しめるイベントを考えていきたいと仰っていました。
そして、大台町のゴミ問題にも、長年ボランティアとして活動されています。
町内にあるコンポストセンターでは、持ち寄った生ゴミを堆肥化しています。活動されている方たちは、持続可能な環境に優しい活動に賛同し、無償で参加している意識の高い人たちばかりだそうです。
元々、公務員だったから、何もできないと仰っていた松本さんですが、地域の小さな問題に目を向けて、前向きに取り組んで行くことは、なかなかできない取り組みです。松本さんのような方が、積極的に動くことで、今まで気にはなっていたけれど、動けずにいた人たちの一歩を踏み出すきっかけとなっているはずです。
インタビューの最後に、「小さな畑のある家で、家族で暮らすのが、小さい頃からの夢だったんです。それがここで叶いました。」と、ぽつりと語ってくださった松本さんの表情が、とても幸せそうで印象的でした。