今回紹介するのは、こだわりのスパイスカレー移動販売「てちやのカレー」を営んでいる、大台町新田(しんでん)の積木 哲史(つむき てつし)さんです。特産松阪牛などの地元食材と26種類のスパイスを掛け合わせ、“作品”のように一皿を作り上げるその原点には、大台町で育った幼少期の記憶と、「地域の美味しさを届けたい」という強い想いがありました。
美術を学び、ものづくりに没頭してきた積木さんが、“美しさ”から“美味しさ”へと表現の形を変え、人生をかけてたどり着いた「てちやのカレー」の物語を伺いました。
【ものづくりが好きだった少年時代】
積木さんは、日進保育園、日進小学校、協和中学校で学びました。
「子どもの頃は、とにかく外で遊ぶのが好きでした。鬼ごっこやボール遊び、『だるまさんが転んだ』とかね」
小学校は学年で35人ほど。中学校では2クラス編成となり、大紀町野原地区の子どもたちも加わって、さらににぎやかになりました。
一方で、外遊びだけでなく、ものづくりにも夢中だったといいます。
「細かい作業が好きで、プラモデルをよく作っていました。中学生になると『Uコン』っていうワイヤーでつながった小型エンジン付きの模型飛行機。最初の飛行で『飛んだ!』と思ったら、地面に激突…。一回目で潰してしまった思い出があります(笑)」
幼い頃から手先を使って何かを作ることが好きだった積木さん。
「伯父が建具職人だったんです。その影響はあると思います」
小中学校では美術が得意科目。創作活動への興味は自然と深まっていきました。
中学校ではテニス部に所属し、硬式テニスをしたいと皇學館高校へ進学しました。
毎日、栃原(とちはら)駅からJRで通い、高校生活を送りました。
現在もテニスは続けており、6~7年前からは「おおだいびとVol.49」で紹介したキッチンカー「il Vivo (イルヴィーボ)」の細川哲幹さんに誘われ、多気町や勢和地域のテニスコートで汗を流しているそうです。

【美術を学び、社会へ】
高校でも美術の成績は良く、進路を考える中で父親から勧められたのが教員でした。
「学校の先生がええんちゃうか、と父に言われたんです。安定しているし、休みもあるし、そんな単純な理由でしたね」
進学先に選んだのは名古屋造形芸術短期大学。
平面作品よりも立体作品に魅力を感じていた積木さんは、彫刻を専攻しました。
「石や鉄、木など、いろんな素材を使って作品を作りました。存在感のある立体物を作るのが好きだったんです」
在学中に教員免許も取得しました。
卒業後、大台町の三瀬谷中学校へ美術講師として赴任。
しかし、半年ほど教壇に立った経験が、その後の人生を大きく変えることになります。
「中学生って本当に純粋なんです。自分の言葉一つで考え方が変わる。右にも左にも動いてしまう。その影響力が怖くなったんです」
教師という仕事は、単に安定しているから選ぶものではない。
子どもたちをどう育てたいのかという明確な思いがなければ務まらない。
半年間の経験を通して、そのことを痛感したといいます。
積木さんは教師の道を離れ、新たな仕事を探し始めました。
【伊勢市職員として歩んだ34年】
そんな時、皇學館高校時代の同級生から「ぴったりとちゃうか?」と教えてもらったのが、当時の伊勢市広報に掲載されていた「伊勢市工芸指導所」の職員募集でした。
彫刻や立体デザインの知識を生かせる仕事です。
「これは自分にぴったりだ。絶対にここで働きたい!と思いました」
採用枠はわずか1人。
同じく美術を専門に学んだ応募者3人の中から見事採用され、積木さんは伊勢市工芸指導所で新たな一歩を踏み出しました。
昭和54年4月4日付の中日新聞地方版には、彫刻作品を手にした積木さんの写真とともに、「地元特産品育成へ 6年ぶりお役人彫刻家」という見出しで大きく紹介され、話題となりました。
指導所では、土産物メーカーの商品開発を支援。
積木さんは立体デザインを担当し、さまざまな商品づくりに携わりました。
「伊勢で作ったものが、沖縄やグアムで売られていたんです」
ハイビスカスのブローチやシンガポールのマーライオンの置物、天狗や恵比寿様、なまはげの人形など、その仕事は実に多彩でした。

また、仕事の傍ら、プライベートでも創作活動を続け、伊勢市美術展覧会彫塑の部では、
・昭和55年 市長賞
・昭和56年 神宮大宮司賞
・昭和57年 神宮大宮司賞
と、3年連続で受賞を果たします。
「翌年は、内宮の神鶏をモチーフにした作品を出展しようと思っていました。でも、材料となる繊維強化プラスチックのFRPが思うように貼れず、完成を断念したんです。それ以来、彫塑から少し遠ざかってしまいました」
少し寂しそうに振り返る積木さん。
「今でも、その神鶏の凛とした姿は頭の中にはっきり残っています。あれは、本当にいい神鶏でした…」
その後、積木さんは伊勢市職員としてさまざまな仕事に従事しました。
時代の変化とともに、伊勢市工芸指導所そのものを見直す流れが生まれると、積木さんは再び工芸指導所の発展的解消のための部署へ配属され、新たな産業振興の拠点となる「伊勢市産業支援センター」の設立に関わりました。
施設内には起業家を育成するためのインキュベーションルームも整備。
三重県産業支援センターとの連携を深めながら、地域で新たな事業を始める人たちを支援する仕組みづくりに取り組みました。

【55歳で選んだ第二の人生】
「起業する人を支援するにはどうしたらいいか、ずっと考えていました」
一方で、公務員として働き続ける中で、ある思いが次第に強くなっていったといいます。
「毎朝同じ時間に起きて、同じ電車に乗って、同じ席に座って、職場に行く。そんな毎日を繰り返しているうちに、『これでいいのかな』と思うようになったんです」
40代後半から、その気持ちは少しずつ大きくなっていき、「55歳になったら新しいことに挑戦しよう」と心に決めます。
その頃、自宅では時々カレーを作っていました。
「家族から『お父さんのカレーはおいしい』『カレー屋さんをしたら食べに来る人がおるんちゃう?』と言われたんです」
何気ない家族の一言でしたが、それが頭から離れなくなりました。
休日になると独自のカレーづくりに没頭するようになります。
当初は市販のスパイスと自作のスパイスを組み合わせていましたが、思うような味になりませんでした。
「少しでも市販のスパイスを入れると、そのメーカーの味になってしまうんです」
そこで、一から独自のスパイスづくりに挑戦しました。
インターネットや専門書で研究を重ねながら、一つひとつのスパイスを実際に口にし、香りや味の特徴を確かめていきました。
現在カレーに使われているスパイスは26種類。
「どんな味がするのか、スパイスを一つ一つ自分で噛んで覚えました」
中でも最も多く使っているのがターメリックです。
「お酒が好きなので(笑)。ターメリックは肝臓にもいいし、スパイスの多くは胃腸を整える働きもあります」
こうして試行錯誤を重ねながら、自分だけのカレーを作り上げていきました。
55歳になる年、34年間勤めた伊勢市役所を退職します。
「起業家を育てる仕事をしてきたからこそ、自分自身も挑戦してみたかったんです」
人にアドバイスするだけでなく、自ら事業を始め、その経験を通して学びたい。
そんな思いが背中を押しました。
「自分でやってみたら、もっと説得力を持って人に話せるんじゃないかと思ったんです」
長年勤めた公務員という安定した立場を離れ、新たな人生へ。
長年温めてきた「カレー屋をやりたい」という思いを形にするため、第二の人生をスタートさせました。

【試行錯誤の末にたどり着いたキッチンカー】
しかし、開業資金を借りて大きく始めるつもりはありませんでした。
「起業家支援の仕事をしていた時に、最初から大きな借金をして始めると続けられなくなるという事例を見てきました。だから、とにかく自分でできることは自分でやろうと思ったんです」
自宅の駐車スペースを改装し、厨房づくりからスタート。冷凍庫や調理器具、鍋などもインターネットオークションを利用して少しずつそろえていきました。
最初に営業したのは伊勢市内のシェアキッチンでした。
「朝と夜は他のお店として営業されていて、昼の数時間内だけ私に貸してもらえるという条件の場所だったんです」
伊勢市中心部、ビジネス街であり好立地でしたが、10席ほどの小さな店舗。限られたランチタイムで満席になっても、一日に提供できるのは席数と同じ10食でした。
「お客さんはゆっくりしてくれるんですけどね(笑)。売り上げとしてはなかなか厳しかった」
その後、別の店舗へ移転しましたが、思うように売り上げは伸びませんでした。
そんな時、転機となる出会いがありました。カレーを食べた飲食店経営者から、「このカレーなら、キッチンカーで絶対売れる」と勧められたのです。
その言葉を聞いて、積木さんは産業支援センター時代のことを思い出しました。
「部下が、『これからは移動販売、キッチンカーの時代ですよ』と話していたんです。その時は半信半疑でしたが、実際にキッチンカーをやっている経営者の方にも同じことを言われて、『やってみよう』と決心しました」
こうして積木さんは、新たな挑戦としてキッチンカーの世界へ足を踏み入れました。

現在イベントなどで活躍しているキッチンカーにも、積木さんらしいエピソードがあります。
「車もヤフオクでしか買ったことないんですよ」
オールドカーをオークションで手に入れ、自分で修理することが趣味だという積木さん。
最初に手に入れた黄色いキッチンカーは、宮崎県で見つけた一台でした。
大阪から夜行バスで九州へ向かい、さらに路線バスを乗り継いで現地へ。車を受け取ると、そのまま自ら運転して三重県まで帰ってきたそうです。
「途中で観光もしながら帰ってきました」
長旅の末に迎えた一台は、積木さんにとって、まさに相棒のような存在でした。
「コロナ禍で事業形態を変えようと思っていた時に、コロナ関連の補助金制度があって、それを活用してトラック型のキッチンカーを導入しました」
2代目となるキッチンカーは、中部地域のキッチンカー仲間のつながりから製作してもらった一台です。
「自分で細かく注文するより、その人に全部任せた方がいいと思って。信頼してお願いしました」
結果はすぐに数字に表れました。
「売り上げは3分の2くらい増えましたね」
理由は明確でした。
「やっぱり目立つんです。小さい車ではPRできる範囲が限られるけど、大きなトラックになると存在感が全然違う」
キッチンカーは、味だけでなく“見つけてもらうこと”も重要だと実感したといいます。
【三重県の食材と向き合う、てちや流カレーづくり】
積木さんがカレーづくりで大切にしているのが、三重県産の食材です。
開業当初から、県内産の肉を使用してきました。
「最初は朝日屋さんの牛肉、玉城豚、ななほ鶏を使っていました」
現在はさらに仕入れ先を見直し、
●牛肉は松阪市久保町「おう児牛肉店」の特産松阪牛
●豚肉は松阪市高町「山越畜産 松阪豚専門店まつぶた」のブランドポーク松阪豚
●鶏肉は松阪市清生町「鳥梅商店」の錦爽鶏
を使用しています。
さらに、津市美杉町の牧場「山地牧場 珠の牧」で牧草のみを食べて育ったグラスフェッドビーフを使った特別なカレーも。
「せっかく三重県でやるんだから、三重県の食材を使いたい。一本筋を通したいんですよね。三重県のおいしい食材を使ったカレーというのを最初から掲げているので、原価が上がってしまっても、それは曲げたくない」
そう話す積木さんは、「地元愛のカレー」と表現して笑います。
地元の生産者が育てた食材を使い、その魅力をカレーという形で届けることも、積木さんにとって大切なテーマになっています。

そして、「てちやのカレー」を語るうえで欠かせないのが、スパイスへのこだわりです。
一般的な飲食店では、すでに粉末になったスパイスを仕入れて使うことが多いといいますが、積木さんは違います。
「うちはスパイスを種の状態で仕入れて、自分で粉にしています」
仕入れ先は東京のスパイス専門店。
スパイスを種から挽く理由は、香りと効用へのこだわりでした。
「調べたら、スパイスは粉にした時点で空気に触れて酸化が始まって、香りに加え効用まで落ちていくと知ったんです。それなら自分で挽いた方がいいと思って」
専用の粉砕機も自ら探し、10年以上使い続けています。
「手間はかかります。でも、面白いことに、手をかければかけるほどおいしくなるんですよ」
長年の経験から、少しの手抜きが味に現れることも実感しています。
「面倒だから今日はこれくらいでいいかと作ると、不思議と味が落ちるんです」
26種類のスパイス、一つひとつの香りや特徴を確かめながら、自分だけの配合を作り上げてきました。
工芸指導所で立体デザインや彫刻に携わっていた積木さん。
カレーづくりにも当時と同じ感覚を持っていると話します。
「結局、料理も“ものづくり”なんですよね」
美しいものを作るか、おいしいものを作るか。その違いだけだと言います。
「こうしたらどうなるかな、ああしたらどうなるかなって考えるのは、彫刻の時も今も一緒です」
新しい材料を試し、配合を変え、味を確かめる。
試行錯誤を繰り返す姿勢は、若い頃から変わっていません。
また、「てちやのカレー」には、一般的な欧風カレーのような小麦粉のルーは使われていません。
代わりに使われているのが、じっくり炒めた香味野菜と肉のうま味です。
玉ねぎなどの香味野菜は細かく刻み、余すことなく使い切ります。さらに肉から出る脂も活用しながら、独特のとろみを生み出しています。
鶏肉のカレーは比較的さらりとした口当たりになり、牛や豚ではまた違ったコクが生まれます。
長年の試行錯誤の末にたどり着いた、てちやならではの製法です。

【キッチンカーだからこそ見えた景色】
2021年に、隣町である多気町に大型商業リゾート施設「VISON(ヴィソン)」がオープンすると、軽トラマルシェと名づけられたイベント会場への出店が始まりました。
ちなみに、積木さんが住む大台町新田からVISONまでは、車で10分以内。すぐ近くで出店できるようになり、ラッキーだったと語ります。
VISONは全国から多くの来場者が集まる人気スポットですが、売り上げは決して順風満帆ではありませんでした。
「正直、かなり厳しかったですね。出店場所は、むしろ一番いい場所に置いてもらっていたんです。売れてへんのに、なんでずっとここに置いてくれるんやろって思うくらい(笑)」
一方で、人気店には共通点がありました。
肉巻きおにぎりや団子など、調理している様子が見え、香りが漂う商品です。
「実演販売で匂いが出る。商品も見える。お客さんが『これください』って指差せる。その強さを実感しました」
キッチンカーでのカレーはどうしても完成品が見えにくい。
だからこそ、商品をどう伝えるか、どう興味を持ってもらうかを考えるきっかけになりました。
積木さんは、お客さんに味見を勧めます。
牛、豚、鶏。それぞれのカレーを少しずつ試してもらい、その日の気分に合ったものを選んでもらう。
「人によって、その日食べたい味は違いますから」
カレーは朝と夕方でも味が変わります。
時間とともに水分が飛び、濃厚さが増していくからです。
「濃い方が好きな人もいるし、さらっとした方が好きな人もいる」
だからこそ正解は一つではない。
その日、その人にとって一番おいしい一皿を選んでほしいと、スプーン一杯の味見のサービスがスタートしたのですね。
イベントによって客層も大きく異なります。
松阪市の農業公園ベルファームへの出店では、VISONとはまた違った反応がありました。
「カレーマルシェというイベントだと、10万円以上売れることもあります」
特産松阪牛を使ったハンバーグのトッピングも、カレーと同じ1,200円ですが、かなりの注文が入るのだとか。
積木さんは、その理由を客層の違いだと分析しています。
「ベルファームは地域の人が多いんです。地元の方が普段から利用する場所。対してVISONは観光のお客さんが中心です」
VISONでは名古屋や大阪など、県外からの来場者が大半を占めます。
「来る目的が違うんですよね。VISONは見に来る場所。ベルファームはグルメを楽しみに来る場所という感じかな」
同じ三重県内でも、場所によってお客さんの行動や消費の仕方が大きく異なることを、現場で学んできました。

【「美味しい」の一言を求めて、これからも】
料理へのこだわりの先には、誰がいるのでしょうか。
そう尋ねると、積木さんは少し考えてから答えてくれました。
「やっぱりお客さんですね」
売り上げが思うように伸びない日もあります。
それでも、一人のお客さんからこんな言葉をもらうと疲れが吹き飛ぶそうです。
「『おいしかった』『ありがとう』『また来ます』って言ってもらえたら、それだけでうれしいんですよ」
それがたった一人からの言葉であっても、その日の苦労が報われる。
イベントやマルシェで出店していると、さまざまな感想が届きます。
「マルシェでこんな本格的なカレーが食べられるとは思わなかった」
そんな言葉をかけてもらうことも少なくありません。
中にはこんなエピソードもありました。
「家族で来たお父さんが、自分で注文したのに、一口も食べられへんだって(笑)。奥さんや子どもさんに全部食べられてしまったらしいんです」
食器を返しに来た際に、「本当においしかったです」「お店はどこにあるんですか?」と声をかけられることも多いそうです。
積木さんにとって、そうした何気ない一言が大きな励みになっています。
「やっぱり、おいしかったと言ってもらえるのが一番うれしいですね」
長年続けてきた“ものづくり”の先には、いつも食べてくれる人の笑顔があります。
定年退職後に始めたカレーづくりは、気がつけば14年。幼い頃から好きだったものづくりへの情熱は、形を変えながら今も変わることなく続いています。
スパイスを種から挽き、三重県産の食材にこだわり、納得のいく味を追い求める。その積み重ねの先にあるのは、売上や数字だけではなく、お客様からの「美味しかった」という一言です。
イベント会場で初めてカレーを食べた人が笑顔になり、「また食べたい」と声をかけてくれる。その瞬間が、積木さんにとって何よりの喜びであり、次の一皿を作る原動力になっています。
そして今、次の目標として見据えているのが、レトルトカレーの商品化です。キッチンカーや店舗だけでは届けられなかった場所にも、自分のカレーを届けたい。新たな挑戦に向けて、着々と準備が進んでいます。
大台町を拠点に、三重の食材の魅力を一皿に込め続ける積木さん。69歳になった今も、その探究心は衰えることがありません。
「あと何年できるか分からないけど、お客様からいただく『美味しい』を求めて、これからも続けていきたい」
ものづくりを愛し、人とのつながりを大切にしながら歩んできた人生。その思いが込められた一皿は、これからも多くの人の心とお腹を満たしていくことでしょう。
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written by castermami
