今回のインタビューは、大杉谷自然学校のスタッフとして働く張暁玲(ジャン シャオリン)さんです。
キュートな笑顔、控えめな性格とは裏腹にガッツのある精神とポジティブなモノの捉え方。 グローバルな視点を持ちつつ、山奥の集落や仕事を通して出会う人々、そこから見える景色について伺いました。
【日本へ】
暁玲さんは中国広東省出身。仕事で日本と中国を行き来していた父について母も渡日。祖母と2人で暮らしていましたが、13歳の夏、ついに暁玲さんも大阪へやって来ました。
「小学校を卒業したら日本に来るんだよ」と言い聞かせられて育ち、地元の図書館で開催する夏期限定日本語講座に通わされたそうです。しかし当時は日本に来たい訳でも興味があるわけでもなく、すぐに忘れてしまったと苦笑い。
友達とのコミュニケーションも難しいし、中学校では2学期からの転入なので、1学期分追いつくのも大変。数学は中国の方が進度も難易度も高くストレスがなかったようですが、やはり国語は苦労したそうです。親切な先生たちに補習してもらいながら、次第に授業についていけるようになりました。
【大杉谷自然学校へ飛び込むまで】
やがて大学に進学した暁玲さんは2年生の時にタイの研究プロジェクトに参加し、そのチームがたまたま研究テーマに「タイにおける環境教育」を掲げることになりました。
ここから本格的に「環境教育」に関わり始めますが、その原点となるのは、高校時代のユネスコ部。グローバルなゴールに向かって身近なことに取り組むことがモットー。ビーチクリーンや西成区での炊き出し、募金活動など、ESD(持続可能な開発のための教育)に関連する活動に参加したことで、ESDや地域に根差した取り組みに強い関心を持つようになりました。

大学院へ進学する時も、その分野を専門とする研究室が少ない中、英語で論文を書きたいという希望にもピタッとはまった京都大学地球環境学舎へ。
環境教育を受けた子どもたちやそこに関係する人々、その地域にどういう影響があるのかなど社会学の角度から研究していました。
しかし、そこで学びを深める中でふと心に不安が湧き起こります。
「私はアカデミックな世界にいて、自分が環境教育を受けた人とも言えないし、実施している人たちとあまり触れ合ったことないなぁと思って」
文献を主に調べてきた自分には、現場の経験が足りていない。
「世界中の人が『環境教育は大事』と唱えてるんだけども、だけど現場の人もそれと同じような考えを持ってるのかな?」
自分が経験していないことを堂々と言えない。こんな自分が「環境教育が大事!」というのが恥ずかしくなってきたのだそう。
そこで現場へ飛び込むことを決めたのです。
「現場を経験したら、より自分の考えが自分の言葉で言えるものがあるかなと思って…。そういうものが欲しかったかもしれない」
そしてJICA(日本国際協力機構)関係のウェブサイトで大杉谷自然学校の求人に目を止めました。
【山奥のフィールドへ】
雨の多い大台町。暁玲さんが初めてやってきた時もインタビューの当日と同じように緑がしっとりと美しく、山々に雲がたなびく幻想的な風景だったそうです。
「初めて来た時、町営バスに乗ってどんどん山奥に行って、もう山しか見えなくなって(笑)」
中国でも大阪でも海沿いの街中で育ってきた彼女は、この景色に圧倒され、「山が連なるってこういうことか~」と、中国の四字熟語の「山峦連綿」(幾重にも重なる山々が途切れることなく続く様子)という言葉を思い出しました。

初めての土地への大冒険。
13歳の少女が日本に降り立った時と同じように不安だらけ。田舎の生活の何もかもが分からないままスタートしました。
初めての一人暮らしは広い古民家。薪で沸かすお風呂。静かな夜。
慣れるまでは本当にここで暮らしていけるのかと思ったそうですが、それよりも「目の前のチャンスを逃さずに1回やってみよう」と踏ん張ります。
彼女には、これまでも壁にぶつかっても何とか乗り越えてきたある種の自信がありました。
来日した時もタイに留学した時も困難に直面してきましたが、「でも何か、とりあえず頑張れば何とかなる。前に進めば、とりあえず今日さえ耐えれば大丈夫」と前向きな思考が暁玲さんを動かしてきました。

【田舎の生活】
現在の大台町では一番奥地となる集落「久豆(くず)」地区。
若い女性が集落に一人暮らしを始めたのだから、周りのお年寄りたちは驚き、そして温かく迎え入れたであろうと想像がつきます。
夕食に呼んでくれたり、暁玲さんが遠出した時はお土産を渡したり、良い距離感を保ちながらのご近所づきあいをしているそうです。
暁玲さんの前向き精神は物事の見方にも生かされていて、沸かすのに30分かかるお風呂ですら、ただ不便と言うのではなく、「こんな経験できるの自分だけ」とラッキーにすり替えてしまいます。
スーパーが遠くても町営バスに乗れば、そこを社交場にしているおじいちゃん、おばあちゃん達とお喋り。山奥に暮らすデメリットは全て楽しみに変えていました。
【大杉谷自然学校での仕事】
大杉谷自然学校は大台町の奥地、大杉地区の旧小学校を拠点として、地域をフィールドに環境教育プログラムを提供するNPO法人です。
山や川など自然の中で遊びながら、多様な生態系の学習や地域の伝統や知恵を身をもって知っていく機会を与えています。
地元出身の大人でも意外と知らないことがたくさんあり、子どもたちだけでなく親世代に向けた教育でもあるそうです。

実は全くアウトドア派ではなかったという暁玲さん。川遊びの中で、岩から次々に飛び込む子どもたちを見て驚きます。
彼女にとっては、とても眩しい光景でした。
「子どもたちからすっごい勇気をもらったりとか、楽しもうって気持ちになります」
岩から飛び込むなんてチャレンジしようと思ったことすらなかったけれど、
「みんながどんどん飛んでいる姿を見て、自分も頑張ってみようって。何となくそこの雰囲気にいるとね、自分ももしかしてできる!って」初めてのサマーキャンプの時に挑戦。今でも得意ではないけれど、自分の壁をひとつ乗り越えるという意味で、ひと夏に一度は飛び込んでいるそうです。
「子どもって危ないことを気にせずにどんどん行くじゃないですか」
スタッフはもちろん安全管理をしています。でもその姿は「自分にないもので憧れてしまう」と。こんな冒険ができる環境で生きている田舎の子どもたちのことを羨ましく思うそうです。

自然学校では、この地域に根付いた伝統、自然と共に生きてきた人々の知恵を次世代に継承していくことも目指しており、その先生として地域の人々の存在は欠かせません。
例えば手作りのお茶。摘むところから始まって蒸して手揉みして天日干し、と全ての工程を体験するプログラム。先生は地元のおじいちゃんです。
暁玲さんはどのプロジェクトにおいても、実際にその師となる人々から直接教えてもらえることを「私ってラッキーだな」と思うそうです。
「私ね、自然学校の仕事をこういう言い方していいか分からないですけど、仕事って思っていなくて、むしろもう一度大学に入って勉強、もう日々勉強している気持ちでいる」
楽しいだけではないここでの仕事。プログラム遂行だけではなく、企画、準備、事務仕事など、少数精鋭のスタッフは皆マルチタスクをこなしています。
「私、生き物にも詳しくないし…(笑)。泳ぐのも得意じゃない…。力持ちじゃないから薪割りも遅いし…」と仕事に貢献できていないと申し訳なく思うこともあるそう。
しかし持ち前の前向きさで、これは難しいけどやってみよう、勉強としてとらえて何とかこなしていこうと頑張っています。
「だいたいのことは人間は意思さえあれば大丈夫!」

【本当の自然】
決してアウトドア派ではないけれど登山は好き。心が落ち着く田舎の静けさ。おばあちゃんとの中国の農村での記憶。目の前の田園風景が間もなく消えてしまうかもしれないことをを憂える心。暁玲さんが「自然が好き」なのは間違いありません。
でも大杉谷で暮らすようになり、軽々しく自然が好きと言わなくなったそうです。
それは、この土地でずっと生きてきた人々は自然と深く繋がり、畏れや尊敬の念を抱いて生活していることに気づいたから。この人たちこそ「自然が好き」と言えると感じるようになったためです。
「私が思ってる自然は自然じゃなくて、その地域の人たちの手できれいに整えてる自然だな~と思って」
毎朝自分の家の前だけでなく道路を掃く人。草刈りや畑、山の手入れ。台風の後には枝葉が散乱する道路を掃除されている人たち。
目に入る美しい風景は人々の営みによって成立しています。
暁玲さんは自分もその一員として働けるかと考えてみると、無理だなぁとこぼします。
そしてその担い手は高齢化が著しく、いつまで保てるのだろうとせつない気持ちに。
彼らは暁玲さんに、「こんな何もないとこへ来て」と言いますが、彼女には彼らの土地に対する愛着と誇りがひしひしと伝わってきます。

【バランスについて】
文明の発達と共に消えゆく伝統文化。
安価な食品が輸入され、宮川で古くから伝わる「しゃくり」の漁法で魚を捕る人はいなくなり、その道具も使われなくなる。
質の良い教育や便利な暮らしを求めて若者は街へ流れ、農村の過疎が進む。地域行事、祭りがなくなり、祭りのために帰る人もいなくなる。そして集落は消え、文化がひとつなくなっていく。
「環境を守ることは良いことも悪いこともあって、そのバランスを保つの難しいなと思って」
再生可能エネルギーを推し進めて巨大な風車を建てようとすると、自然環境そのものが破壊される。
様々な要素が影響し合う複雑で繊細なこの世界。
環境や人々の暮らしを守るために何ができるのか?
「地域のある文化を継承する人が減っていて消えるのじゃないかなぁというのを見るとちょっと悲しい。あとがっかりするんだけども、でもそれは止められないことだなぁと思って。昔からそうだなぁって。」
昔の人も何かが発達してひとつの文化が消える時、寂しいと思う人がいたんじゃないかなと思いを馳せます。
「今できる自分は『それを記録する』それがあるってことを記録することしかできないかな」
【今を記録すること】
最近よくドキュメンタリーを観るという暁玲さん。
大台町に暮らして4年。スマホには撮りためた写真や動画がたくさんあります。
自然学校でも活動写真は撮りますが、プログラム実施時に記録係を兼ねるのは難しく、なかなか思うように撮れません。そんな彼女が抱く想い。
「いつか自分でドキュメンタリー撮りたい」
現場で消えゆく文化の最後の場面に立ち会っているかもしれないという危機感。
「昔はね、おばあちゃんの村ではみんな夕ご飯食べた後、家の前へ出てきてお喋りしてたの。暑いから。あと野菜とか鶏(生きた!)とかいっぱいお土産もらって帰ってきたの。でもこの間帰ったら、もう誰もいない。全然電気もついていない」
水牛が耕していた長閑な風景はなくなりました。
おばあちゃんの故郷の村も久豆の風景も100年後の人に昔はこうだったよと伝えたい。
今私たちが見ているこの瞬間が最新の過去。だから今を大事に、今を記録することが今の暁玲さんの夢です。

【未来に向けて】
実は8月で大杉谷自然学校を退職する暁玲さん。
再びアカデミックな世界に戻って博士号をとろうと考えています。
「またすぐに戻ってくる気もして…(笑)」
夏の忙しい時期のボランティアスタッフとして喜んで受け入れられることでしょう。
暁玲さんは大杉谷自然学校での経験から研究テーマにできるものを探っています。
「大台町で地域で暮らしてる経験があるから、それを、特に熊野古道伊勢路とかいろんな地域の語り部さんのストーリーを聞いたから、それとも関係するような研究内容ができたらなって」
語り部の面々は80代90代の大御所揃い。早く研究しなきゃと焦りもあるそうです。
ここでの暮らしは一区切りだけれど、またさりげなく町営バスに乗っている暁玲さんを見るかもしれません。
この地域での物語はまだまだ続いていきます。

大杉谷自然学校
H.P. : https://osugidani.jp/
written by yuki
