
今回紹介するのは、大台町上三瀬(かみみせ)のエス・パール交通株式会社観光部長の吉田 将(よしだ まさる)さんです。大台町営バスや観光バスを運行するエス・パール交通は、令和5年に新しい自動車整備工場を立ち上げました。近年は近隣住民に向けたツアーの企画も行うなど、インフラだけではなくレジャーも提案し、町民のQOLを高める地元企業に成長されています。一度県外で勉強し、家業のためUターンした吉田さんに、大台町の魅力と課題を伺いました。
【交通インフラ「大台町営バス」の運行】
エス・パール交通株式会社は、平成9年に創業しました。一般貸切旅客自動車運送事業を開始し、大台町が宮川村と合併する前、宮川村役場からの委託を受けて、平成11年から一般乗合 旅客自動車運送事業として、宮川村営バスを運行するようになりました。それまでは三重交通株式会社が運営するバスが旧宮川村にも通っていましたが、人口減少などの影響に伴い、撤退したことを機に地元企業であるエス・パール交通が引き継いだ形です。
平成18年1月10日、大台町と宮川村が合併し、新しい大台町が誕生してからは、大台町営バスと名称を改め、旧宮川村に住む住民の交通インフラを守り続けています。
大台町戦略企画課が制作した町営バスの乗り方を説明する動画には、吉田将さんが運転手として登場していますよ。
【学生時代から就職まで】
吉田さんは、1977年生まれ。大台町上三瀬に住み、三瀬谷小学校へ通っていました。当時、同級生は70人以上いて、2クラスだったそうです。ちなみに、現在の三瀬谷小学校の1学年の人数はその半数以下。
「うちは整備工場を自営していたので、友達とばかり遊んでいました。自転車で走り回って怪我もよくしたけれど楽しかった。祖母が大台町岩井に住んでいたので、川でもよく遊びました。中学時代は鮎のしゃくり漁にも挑戦した。当たり前と思って生活していたけれど、この町に住んでいるからこその特別な体験ばかりだったのかも」と振り返ります。
当時、現在の道の駅 奥伊勢おおだい、大台町役場、奥伊勢消防署の場所にあった三瀬谷中学校に同じメンバーで進みました。旧三瀬谷中学校は、完全な木造校舎だったそうです。
その後、吉田さんの2つ年下の弟さんが中学3年生の時、平成6年に大台中学校が開校し、旧三瀬谷中学校と、大宮町大台町組合立青陵中学校が統合されました。「中学の人数が増えて良かった」と吉田さん。
高校時代まで大台町から通い、愛知県の自動車の専門学校に進学。松阪のディーラーに就職し、整備の仕事をされていました。
大台町と旧宮川村が合併する前、平成14年、吉田さんが25歳の頃に退職し、両親の希望から家業を手伝うために大台町へUターンしました。
「同級生で大台町に戻ってきて仕事している人は10名ぐらい。高卒での就職率は良かったけれど、大学まで進んだら就職氷河期の世代。
地元の高校では、荻原高校から昴学園にちょうど変わったくらいの時でした。町内で見る学生が少なくなったのは、宮川高校がなくなってしまったのが大きかったのかも」。
現在大台町内にある高校は、全国で唯一の県立全寮制総合学科高校である三重県立昴学園高校のみ。現在の大台厚生病院の場所にあった県立宮川高校は、平成24年3月に閉校しました。
【整備士から、バスの担当に】
「まさかバス担当になるとは思っていなかった」。
目の前の仕事をこなしていたという吉田さんは、大台町に帰ってきて2年目から、バスの運転から旅行会社との打ち合わせ、管理、運行まで全てを担うようになりました。
「当時から規模は大きくなったが、仕事内容は変わっていません」と吉田さん。
バスは、学生や高齢者など、交通弱者にとって、なくてはならない重要なインフラです。大台町営バスの利用者からは、「免許を返納したから、バスがなかったらどこにも行けない」「ないと困る」という声が届いているそうです。
【大杉谷峡谷登山バス運行のきっかけ】
旧宮川村を中心に甚大な被害を受けた平成16年9月の台風。日本三大峡谷、日本の秘境100選として多くの登山客を受け入れていた大杉峡谷でも大規模な崩落が起こり、その後10年間一部通行止めとなりました。
平成16年の台風被害を受けるまで、登山客を運んでいた大杉谷登山道連絡船、黄色いジェット船で運行していたのもエス・パール交通でした。
当時の登山客は、奈良県側の大台ケ原から登り、大台町の大杉谷へ抜けるのが一般的なルート。船は登山を終えたお客さんを乗せて送り届けていました。多い時で1日に300人もの登山客を船で運んでいたそうです。
台風の被害から登山道も徐々に復旧が進み、大台町側から桃の木小屋まで行けるようになったタイミングで、当時の大台町役場産業課の職員、野呂直宏さんから「何とかバスを出せないないか」と声がかかりました。野呂さんは役場を退職し、令和2年に株式会社ロカを立ち上げ、大杉峡谷の登り口となる宮川ダム湖でのSUP体験、大杉谷を拠点とした宿の運営などを行っています。美しい大杉谷に人が集まってほしいと、登山だけではない観光拠点を作り、地域活性化に尽力しています。
貸切バスでは乗合ができないため、旅行業務取扱管理者の資格を取得し、旅行として観光客を募集する形を取り、大杉峡谷登山バスの運行がスタートしました。ここから、エス・パール交通は旅行会社としての一面も持つようになりました。
【町民向けのツアーを企画】
「当初、大杉峡谷登山バスがなければ旅行業は必要なかったけれど、ノウハウを持った人材の仲間入りで新たな事業を展開できました」。
それは、コロナをきっかけに廃業してしまった松阪市にあった旅行会社に長年務めていた方。旅行会社とバス会社という立場で、それまでも取引がありました。吉田さんからの声掛けでエスパール交通へ入社し、町民向けのツアー企画を打ち出すように。大台町や隣町の大紀町に住む人がバスの旅行ツアーに参加しようと思うと、1時間以上離れた松阪市や伊勢市、亀山市の名阪関ドライブインまで行く必要があります。地元発のプランのニーズを考え、様々な旅行プランを掲載した新聞折込チラシを春と秋に出しています。
令和5年、エス・パール交通の新しい自動車整備工場のオープン記念で募集した格安バスツアーが満席となり、以後、謝恩特別企画として、「行き先は着いてからのお楽しみ」というミステリーツアーを年に1度開催しこちらも大ヒット。女性グループや夫婦などが参加し、「海の方行くんかな?」「あっち行くの?」とバスの中でわいわい予想しながら和気あいあいと楽しんでいるそうです。話を聞いていると、筆者も参加したくなってきました。
行き先には、担当者おすすめのプラン以外にも、参加者の意見を反映しているといいます。最新のチラシでは、飛行機を使った場所への国内旅行プランにもチャレンジしているといい、「この金額で来てくれるかな」と心配されたそうですが、石垣島へのプランは満席。来年の春には北海道のプランも企画されています。交通に関して不便もある大台町に住んでいても、集合場所までの距離や時間を気にすることなく旅行できる、日常がさらに楽しくなったと喜ばれています。
【地元企業から見る、大台町の課題】
「町に聞いたところ、大台町は年間200人が減っているそうです。2025年6月現在で人口は8,133人。10年後には、6,000人台になる。
エス・パール交通も、50代~60代のスタッフが引退した時のために、今から求人を考えていかないといけません。これからも人口流出が止まらない気がしてならない。地元の企業は常に人材不足です」。
交通インフラを支える吉田さんの目線から、大台町にはどんな光があるのでしょうか。
「町営バスは昴学園高校に通う学生が日々利用してくれます。遠方から寮に入り生活している学生に大台町を好きになってもらって、大台町で就職できる環境を整備すれば、多少は残ってくれるかも。地元企業としてできることを考えていきたい」。
また、令和8年4月開校予定の「みえ大台おおぞら高校」にも期待したいと吉田さん。子どもたちとそのご家族に大台町を知ってもらう大きなきっかけとなりそうですね。
「大多数の高校生が、町外の高校に通っています。他の友達に比べて1~2時間早起きをして、毎日バスに揺られJRに乗って学校へ行く。勉強する時間も遊びの時間も削られていると思うと、大台町に住み続けられないという気持ちは分かる…」。中学までは良くても、子どもの高校受験のタイミングで将来について考える家庭もあるようです。
田舎暮らしが満喫できる大台町。子育て世代の移住者が何組もいますが、ライフスタイルの変化に伴ったデメリットも考慮した上で、移住先として選んだという声が届いています。
【仕事の一つの選択肢として】
町営バスは、365日の交通インフラとして、台風や大雨といったイレギュラーが発生しない限り止めることはありません。吉田さんに、路線バスの運転手という仕事の魅力をお聞きしました。
「日々バスの中から、自然豊かな大台町の春夏秋冬の移り変わりを感じられます。朝5時出庫なので、冬は寒くてまだ暗いなか出ていくのは大変だけれど、お昼前に退社できるので午後から自分の時間を過ごせます。寒いから辛いと思うのではなく、夜明けの美しさを見られると楽しむことができれば、良い仕事だと思います」。
清流宮川と、桜や紅葉の並木が続く旧宮川村の沿道。毎日眺めても飽きることのない景色が大台町にはあります。
他の仕事についても、吉田さんはこう語りました。
「貸切バスの運転手は、日本全国様々な場所へ行けて楽しい。小さな町の整備工場は、高齢化で縮小したり閉じたりしているので、仕事がどんどん増えてきています。整備のスキルがあれば、全国どこに住んでいても同じ。自然が好きな人に大台町へ来てもらいたい」。
大台町でも、以前は地域の自治会の集まりなどグループを作って団体旅行をすることがよくあったそうですが、高齢化やコロナをきっかけにすっかりなくなってしまったそうです。大台町発着のツアーを企画していくことで、エスパール交通は、地元の方から愛される企業を目指していくといいます。
【大台町の魅力】
さて、大台町が誇る大杉峡谷。登山バスを利用する人は、春の大型連休が最も多いそうです。しかし、自然を求める傾向にあったコロナの最中に人気だったものの、制限がなくなってからは登山客がそこまで戻ってきていないのだそう。人が少ないからこそ独り占めできる大杉峡谷の景色に今一度目を向けて、挑戦してみてはいかがでしょうか。
以前には、国指定特別記念物のニホンカモシカに登山バスを運転しているときに道路に出て きて遭遇したこともありました。
「地元の方も、『ニホンカモシカを見るために山に入るけれど、なかなか会えない』と言っていました。それほど珍しいですが、大杉谷をバスで走ると貴重なことが起きるかもしれません。大台町に住んでいれば、時にはそんな体験もできるのが良いところ。三瀬谷ダムより上流は、水が綺麗で美しい。課題も多くて先行きは不安ですが、生活面でも観光面でも良いところだと思う」。
大台町で生まれ育ち、大台町で住むメリットもデメリットも理解している吉田さん。町民の暮らしを支える仕事を通して、郷土の未来に日々向き合っています。大台町へ訪れた際は、ぜひ公共交通機関も利用してみてください。バスや鉄道を使い、角度を変えて見てみることで、ここに暮らす人々の息づかいも聞こえてくることでしょう。
エス・パール交通
住所 : 三重県多気郡大台町上三瀬303
Tel : 0598-82-3593(観光・貸切バス)
HP : https://spearl-kotsu.com/